たまたま手にした案内で、宮脇綾子さんという作家さんを初めて知った。「吊った干しえび」「さしみを取ったあとのカレイ」「切った玉ねぎ」・・・といった身近な暮らしの一コマをアプリケにした作品に心惹かれ、観に行ってみた。
今年は宮脇綾子さん生誕110周年だそうだ。90歳で亡くなられた宮脇さんが作品を作り始めたのは、40歳の頃。幼いころ父様の事業の失敗で裕福な暮らしから一転、家族は離散し幼いころから妹弟の母親代わりとなり、画家の宮脇晴さんと結婚してからも質素な生活の中3人の子を育て、戦争がはじまりさらに苦しい暮らしを続けた。厳格な姑に仕えて毎夜縫物を続けるうちに、それが一番好きな仕事になっていき、どんなちいさな端切れや糸や色褪せた紙などでも捨てることをせず大切にとっておいた。そこから生まれたのがアプリケだった。
モチーフは、目の前にあるものや自然のものだけ。カレイの腹のつるりとしたところ、死んだ鴨のずしっとした感じ、ネギの根っこのもじゃもじゃ、葉っぱや果物の瑞々しさ、枯れかけた花・・・・そんな台所の片隅に転がる風景が、お役御免になった小さな端切れ布や糸くずで、こんなにも生き生きと蘇ることに驚かされる。そして昔の布のもつ可愛らしさ、古びないデザイン性の高さや丈夫でふくよかな感じも、繰り返し見ても見ても見飽きない。布マニアにはたまらないだろうなと思う。
ほとんどの作品には、絶妙な位置に絶妙な色合いで「あ」というサインがアプリケされ、作品を一層生き生きと楽しいものにしている。これには綾子の「あ」、アプリケの「あ」、ありがとうの「あ」、あっと驚くの「あ」、という意味があるという。持って生まれたセンスも多分にあると思うけれど、ひごろの観察力、想像力、ものを大切にして、手間を惜しまないこと。その地道な積み重ねが、誰かの心にちいさくとも「あ」っという感動を与えるのだと気づかされる。
図録の巻末には、ご本人による『私のアプリケ』という文章が収録されており、読む者を力強く励ます温かく美しい言葉が並ぶ。
「私がこのアプリケを考え出しましたのは、昭和20年の終戦と同時で40歳のときでした。あの恐ろしい、やりきれない、つかれはてた気持ちのとき、このまま死んではつまらない、何かしてみたい、何か生きがいのあることをしたいと切実に思ったのです。あの殺風景な中で、ボロで出来上がった自分の作品を見て、すっかり有頂天になりました」
「画ごころはどなたにもあると言えます。またセンスというものはどなたでも、それぞれお持ちになっているはずです。それを引き出すのは、どなたでもなく貴女なのです。何事も挑戦してみることです。自信をお持ちください。時間をかけることです。あせってはいけません」
(図録より一部抜粋)

「宮脇綾子の世界展 ―布で描いたアプリケ芸術―」は6月14日(日)まで美術館「えき」KYOTOにて。
2015/05/26 takeko, イベント
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「住ひのことでは、一時思ひ屈した。」
これは小説の最初の一行ということでは私の知るかぎりでは一番うまいと思っている永井龍男さんの『そばやまで』という小説の書き出しの文章である。
………
山口瞳さんは、エッセイ「住いのこと」で、こう書いた。そしてこのあとに、こんなふうに、続けている。
私よりずっと若い人で文章を志している人たちにこの一行のもっているノッピキナラヌ感じを味わっていただきたいとは思っている。この一行はこれより長くてもいけないし、これをさらに圧縮することは不可能である。
………
山口さんは、住いについて、たくさんの文章を遺したが、これは、その初期のものだ。このあと、家を壊し新築し、やがて「変奇館」へとつながるのである。そして、息子の正介さんが、その思いを、いま、つなぐのである。
(連載「変奇館、その後 ― 山口瞳の文化遺産」は、ココからごらんいただけます)
2015/05/24 morimori, その他, 書籍
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先日、フレッシュなベビーコーンをお土産でいただいた。
フレッシュなベビーコーンを手にするのは初めてだった。
皮付きのまま蒸し焼きにしておいしくいただいた。
2015/05/21 kuro, その他, 未分類
AUTHOR:chilchinbito
週末、先日のイベントで教わった里山活動に便乗させてもらって植物観察へ。山主でもあるマスターの30年来の愛車、三菱JEEPに乗っけてもらい、ワイルドな乗り心地を堪能しつつ久多に向かう。

久多は京都市左京区の最北端、同じ区内に自分が住んでいるのが不思議なほど、山深いところ。少し前までは雪が降っていたというから気候もずいぶん違う。風が涼しい。眼下に見える小川の底の小石まで見える澄んだ水。季節柄いたるところに咲いている山藤の美しさ。雲一つない空。めきめきと緑の葉っぱを繁らせる木々。溢れる生命力を感じる5月は、山歩きにぴったりの季節。暖かくなってくると動き出すマダニやヒルや蚊たちもまだそんなに活動してなさそうなのもありがたい。


平安時代以前から木材の供給地だったというこのあたり、杉だらけかと思っていた山に分け入ってみると何種類ものカエデやサクラ、ホオ、トチ、クルミ、ナナカマド、などさまざまな木がある。

足元にもたくさんの小さな可愛い草花や、エビネやオオイワカガミなど、珍しい高山植物もいろいろ。


拾った葉っぱと図鑑を照らし合わせながら教えてもらった植物の名前を、写真を撮りながら反復する。そのそばからなんだっけ?とびっくりするほどの速さで忘れていく。花が咲いたり、葉っぱがぐんぐんのびたりして、数週間前ともがらりと様子が変わっているのだそうだから、次回来たらまたすっかりわからなくなっているんだろうけれど、皆その繰り返しで反復して忘れては何年もかかって覚えていくんだよ、と言ってもらって安心した。

この日は我々初心者がいるので、ハードな山登りにならないように加減をしてくれたようだけれど、貴重な植物のまわりに鹿よけのネットを張るだけでも、普段使わない頭や筋肉を使って自分の体と脳味噌の錆び具合を感じた。皆どんどん周りにあるもので、作業をしていく。働くのも遊ぶのも一緒になった感じ。

「山活」している人は老若男女問わず、たくましくて物識りで、カッコいい人が多い。その場にあるものを使って働き、遊び、食べる知恵と体力があって、生き物として強そうだ。それにしても鳥の声、風のざわめきを聴きながら山で食べるご飯や、小川の水の美味しいこと。心からリフレッシュできました。

久多では八月に志古淵神社に歌と踊を奉納する花笠踊りがあるそう。地元の男性たちが和紙や植物を使って色とりどりに美しく作った花笠に蝋燭を灯し、夜の闇の中を歌い踊る姿が本当に美しいという。観てみたいと思った。
2015/05/17 takeko, その他
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先日亡くなった愛川欽也さんについて、こういう記事があった。
〈愛川欽也は生涯に八本の映画を撮った。監督を務めただけではない。製作も脚本も、音楽も、そして主演さえも一人で務めた。これは映画史では、チャプリン以来の快挙である。〉(『東京新聞』“大波小波”)
六作目の映画『荷風はこんな男じゃない』の撮影風景を見たことがある。荷風といえば、浅草、ストリップということで、それは、いまは使われていない映画館を、ストリップ劇場に仕立てて、行われた。私は、エンあって、そこに行った。愛川さんの独特の声は、撮影中も休憩中も、どこにいても、よく聞こえた。
追って「思い出展示会」がひらかれるということだが、それにさきがけて、台本と撮影風景(左下に、愛川さんが見える)を、ごらんいただきます。
2015/05/14 morimori, 映画
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最近、むらさき色の野菜をスーパーでよく見かけるのは気のせいか…
なんとなく、身体によさそうな気もする。
2015/05/12 kuro, その他
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快晴だから「植草甚一スクラップ・ブック」展へ行く(7月5日まで、世田谷文学館)。原稿のためのノート。映画を観てのメモ帖。スクラップブック。草稿。講演の原稿。ハガキ、手紙。古い雑誌、洋書。レコードリスト。写真。コラージュ。……
〈コラージュというやつは、手元にある無関係な切り抜きをくっつけ合わせ、それが自分の気にいるようになりながら、なにか別なものに変化してしまうときの快感にあるのであって、それはほとんど即興によってできあがってくる。 ……〉
(『世田谷文学館資料目録 3 』植草甚一関連資料)
たくさんの品品をくっつけ合わせて、植草さんが浮かび上がってくる。その愉しさ。昨今、ときめき片づけが、大流行だが、植草さんが、ときめいて、棄てなかったものの、なんと多く、ステキなことか。
2015/05/09 未分類
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すみだ水族館の年間パスポートを購入。
はてさて、子供は興味をもつのかな?
と思いましたが、もうすぐ3歳となる我が息子、何とか水族館なるものを理解し、
また行きたいとハイテンションになっていました。
しかし、なぜか出口近くの金魚に一番の興味を示し、そこから離れませんでした。




2015/05/07 kurara, その他
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商品を購入する時に
わりと気になるのは
パッケージ。
こんなに紅茶ばかり買ってどうするんだろうと思いつつ、
waitroseの商品は
ついついジャケ買いしてしまう。
2015/05/04 kuro, その他
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第15回「彩工房 暮らしと住まいのセミナー」は「森のお手入れ-林業体験-」。6年前、彩工房さんが北山の一角に植えた500本の杉の幼木が、雑草や茨のツルに負けたり大きな節が出来たりしないように行う下刈りと枝打ちの体験と、野外ごはんを楽しもう、という企画。朝から本降りと小雨をいったりきたりの不安定な空模様の中、たくさんの方が参加してくださった。 しばらく空の様子をみながら「京都北山杉の里総合センター」をお借りして、丸太を見学したり、山のお話を伺う。

北山杉は、細く長く滑らかで艶のある美しい木肌が特徴で、古くから京都の文化を担う美しい数寄屋づくりや茶室に用いられてきた、とても歴史と伝統のある貴重なブランド。植林後6~7年ごろから4年ごとに枝打ちを繰り返す。そのときとてもよく切れる鎌や鉈で枝をえぐるように一発で落し、節が残らないようにする。この伝統的な枝打ちは素人には大怪我の元なので、今回は大人も子供も初心者こぎりを使って行うことになった。

山主のお一人、山本さんは雨の日に一般の人が大勢で山に入るのは気が進まないなぁとしぶしぶ顔。「だいたい、どうやったって節があるのが杉やから。枝打ちして、綺麗にしてっていうても残るところは残るし、とってしまっても節の根っこは奥にあるしな。枝打ちせんでもべつに、どうってことない」・・・ええっ、そうなの!? と思いながらも「枝打ちするのは人間の都合」という言葉に、木の命を人間の都合でいただいていることへの謙虚な気持ちを感じた。その後も「ヒルは衣服の隙間から入ってきて吸い付かれて取るとバーッて血ぃが出るし、サルも嫌うっちゅうイバラがあって、もうそれは触ったらぜったいあかん。刺さってとれへんようになる」とますます皆をビビらせるようなことを言いながら、実際に山に入ると、みんなが怪我をしないように注意深く目を配りつつ、道具の使い方や枝の伐り方を丁寧に教えてくださる。


皆がだんだん要領をつかみ、夢中になって枝打ちを始めると、どんどん空間が開いて薄い光が差し込み地面が明るくなってきた。ぬかるんだ地面で泥だらけになっても、心は清々しい。薪割り教室のときも感じたけれど、子どもたちも一旦山に入るとりりしい顔になって、大人顔負けの根気と集中力を見せる。「みんなでやるとあっという間やな」と、主催の彩工房、森本さんも感動の面持ち。


枝打ちの途中、数人は料理班として別れ、おなじく山主の和田さんの庭をお借りして、ご飯の準備に入った。地元のお母さんたちが用意してくれた山盛りの山菜を、壊れたキャタピラを再利用したかまどで天ぷらにしたりバター焼きにしたり、ダッチオーブンで丸ごとチキンをつくったり、伏見の料理屋のマスターがいらしていたので鹿肉ステーキを焼いていただいたり、大きい釜でご飯を炊いたり・・・とワイルドで豪勢なお昼ご飯になった。





無事に雨も上がり、晴れ間すら見え始めて、食も進むし話も弾む。山活動をすでに行っている人たちと、まだまだこれから、という人たちとも少しずつ繋がりが生まれそうな雰囲気だった。山での活動は、経験者の知識が不可欠なのはもちろん、初心者も自主的に動けば動くほど楽しくなる。彩工房さん、山主さん、参加者さんたち、全員の力が集結して、楽しくて密度の濃い、貴重な時間を過ごすことができた。

帰ってから「森からの手紙」、
「森林を守る」、「続・森林を守る」と、いままで書いていただいている森関連のコラムを読み返した。実際に森に行った後に読むと、なるほどと思う箇所が増える。いずれもわかりやすく林業のことをおしえてくれるコラムなので、少しでも関心のある方はぜひ読んでみてください。いままでとはすこし違う視点で山や森のことが見えてくると思います。
2015/05/01 takeko, イベント
AUTHOR:chilchinbito