morimori

商売の秘訣

 JR・御茶ノ水駅、新宿よりの改札を出る。あれは、ナニ坂、というのかな。楽器屋さん、ファストフードの店、明治大学などを横目に歩くと、右正面に、三省堂が見える。小学生のころ、私は友達とつれだって、よく、三省堂へ、そして、東京堂へと本を買いにきた。左右の店は変わったが、この坂道を下る感覚は、今も昔も、変わらない。懐かしい。

 三省堂が創業130年と知って、びっくりした。その歴史をたどる記事が『東京人』7月号にある。(『三省堂書店は小さな宇宙・木部与巴仁) 読んでいたら、こういう箇所に、目がとまった。それは —- 酒の飲めない者は酒屋に、飲める者は菓子屋に、という商売の秘訣がある。三省堂の創業者の方は、本が苦手だったから、書籍の仕事で成功したのだろうか、商売には、適度の客観性が必要かもしれない —- というところである。面白かった。

 ちなみに、このブログを書く、アノヒトもコノヒトも、お菓子屋さんをやると、成功するような人たちばかりである。

三省堂


パッションフルーツ

 『チルチンびと』67号は、もうお読みになりましたか。

 そのなかの新連載「小笠原からの手紙」(安井隆弥)に、こういう話がある。小笠原は海に浮かび出た海洋島である。この岩のかたまりのような島に、植物をつれてくるのは、鳥と風と波だ。たとえば、飛んでくる鳥の糞のなかの種子が発芽する。風は、数千キロメートルの彼方から、胞子を運んでくる。『椰子の実』の歌のように、海流に乗ってたどり着くものもある。そして、やがて、島は緑に彩られる。私は、この過程が目に浮かび、なんだか楽しくなってくる。

 以前、ご紹介した小笠原野生生物研究会の安井隆弥氏が、パッションフルーツを手に、ひょっこりいらっしゃった。 

 このブログは、先日の野本建設からいただいた「活南蛮エビ はねっ娘」といい、なんだか、到来もの一覧みたいですが —- いや、実はそうなんです。

 小笠原では、パッションの季節のあとに、レモンのシーズンがくるという。そのレモンは、そこらの果物屋さんで見るものとは異なり、ずっしりと大きく、オレンジと間違えてかじった人がいるという。安井先生!この秋は、レモンをお待ちしております。

パッションフルーツ


予告篇

オイシイおせんべいのヒミツ

 映画の予告篇は短いほうが、映画館に喜ばれる、と、亡くなった映画監督の伊丹十三さんが語っている。 
 —-つまりね、予告篇が長いと休憩時間が食われる。休憩時間が食われると売店の売り上げに響く、ということで、一分の予告篇でも嫌う館があるんです。 (『伊丹十三の映画』から)
 そうか、知らなかった。予告篇とは別に、テレビで映画を紹介するときに使う、場面集もある。それについては、こうだ。
  —–ええ。これね、ここは見てほしいという場面を並べるわけだけど、しかし見せ過ぎちゃいけない、だからいかにも面白そうだけど肝腎のところは見せないという、その呼吸が難しいので、あまり人にまかせられないわけです。 (同書から)
  何の話かというと、私は予告篇をつくろうとしていたんです。6月8日から、この゛広場゛で公開される「手焼きせんべいのヒミツ」の予告篇を、短く、見せ過ぎず、いかにも面白そうに書くつもりだったんですよ。


温故知震

  少し前のことでした。あれは、 どこのニュースでしたっけね。見ていたら、「家選び 武蔵野が人気」とあったんです。大震災以来、家を建てるなら地盤のしっかりした土地を選びたい、もとはどういう土地だったか知りたい、という人が、増えてきたというんですね。 ああ、そのことなら、この本にくわしく書いてある、と気がつきました。この本とは 『住まいを守る耐震性入門』(山辺豊彦・監修)です。今日は、その一部を、ちょっとご紹介しましょうか。

  —-  土地の周辺を歩いて古くから住んでいる人の話を聞いたり、ブロック塀や擁壁の割れ、傾きをチエックすることなどは、地盤の性状を知る上で重要な手がかりになります。その際は地名も参考になります。△△沼、XX沢、◎◎台など、地名にはかつてその地域がどのような地形だったのかが示されている場合があります。昔からの地名を何らかの形で残しておくのは、文化の継承ばかりでなく、住宅建築の構造設計においても大切なことなのです。 —-

  ね、いかがです。これぞ、温故知新ならぬ、温故知震じゃないか、と私は思いました。  <この項つづく >

住まいを守る耐震性入門

チルチンびと建築叢書 2 絵解き  --- 地震に強い木の家をつくる     『住まいを守る耐震性入門』      山辺豊彦監修  風土社刊       定価 1890円

 


5月20日

 「サツキさよなら」 という新聞記事を見た。大地震の日、カバは驚きでからだが、動かず、足をネンザ。体重2.5トンもある動物は、自分の足で立てないと内臓が圧迫され、死に至ったという。 上野動物園に行ってみよう、と思った。
 以前、動物園の獣医さんに話を聞いたことがある。カバには上顎の犬歯が入る刀のサヤのような窪みが、下顎にある。ワラなどのエサが、その窪みにつまって、炎症を起こすことがある。そのときは、人間の歯痛と同じように、寝そべってフーフーいっている、というのである。歯の痛みにはソクラテスも泣いた、といいますからねえ、と二人で笑った。カバとソクラテス !
 動物園に行くと、オリの脇に献花台があった。死んだカバの名前はサツキ。5月20日が誕生日だから、その名がついたのだろう。39歳だった。
 地震の日、風土社のあるビルも、弄ばれるように揺れた。ビルの前の小学校も公園も、避難の人であふれた。まだ、寒い日だった。あれから、サクラが咲き、ツツジが咲き、いま公園は緑である。あの地震の時、カバは、なにを思ったのだろう。それは、わからない。
 わかるのは、やがて夏がくる、ということだ。

カバのサツキ


小笠原流

 「小笠原 2千本 !」と、新聞の見出し。ジャイアンツの小笠原選手が、史上38人目の2千本安打を、記録した。それから2日後、「小笠原 世界遺産へ」の見出し。この初夏の吉兆は、小笠原方面にあるらしい。その小笠原から、小笠原野生生物研究会の安井隆弥先生が来た。
 早速、喫茶店へ。先生はココア、私はコーヒー。これは、いつものことである。「海が荒れて、船が揺れませんでしたか」「いやあ、船が揺れると、みんな部屋に閉じこもっているから、食堂がすいていて、いいんですよ」「世界遺産、これからがタイヘンですね」「いやあ、やることは、もう、やりましたから」
 このティータイムが楽しいのは、先生が、すべて事もなげ、あわてず騒がず、驕らず威張らず、駘蕩として時間の流れるところにある。
 『チルチンびと』6月4日発売の号から、「小笠原からの手紙」という先生の連載が始まる。「シダが好きなので、小笠原に住んでいるという話も書いてくださいよ」といったら、「いやあ、自分のことなんか、書けませんよ」という返事だった。この゛いやあ゛と軽く受け流すところが、独特で、いいんだな。 私は、ひそかに、これを゛小笠原流゛とよんでいる。

小笠原の植物 フィールドガイド 1

小笠原の植物 フィールドガイド Ⅰ小笠原野生生物研究会著     風土社刊 定価¥1,050-

小笠原の植物 フィールドガイド 2

小笠原の植物 フィールドガイド Ⅱ小笠原野生生物研究会著     風土社刊 定価¥1,050-


続・金子國義さんの表紙

 金子さんの絵は、女性誌の表紙としては、かなり異色で刺激的だった。イチゴを手にした裸の女、少年ボクサー —- 絵とはいえ、ヌードも男の子も、この雑誌には初登場だった。
 その表紙に包まれた誌面も負けずに、挑戦的だった。女性の身体と病気、更年期、性的欲求、結婚、離婚、嫁姑の確執などに、遠慮なく大胆に向かっていった。読者の体験をどんどん取り入れた。セックスの記事など「少し行き過ぎじゃないか」と大新聞のエライ方がいい、しかし、その方が、実は、愛読者であることがわかり、大笑いしたりした。
 女性誌を男性が読みだせば、しめたものである。部数は急上昇し、やがて30万を超えた。「変わったことをやれ」「自分が読みたいと思うものを載せろ」というのが成功の秘訣であると、あらためて知った。
 —- このギャラリーに飾られている金子ワールドの人や動物たちとは、その苦楽と想い出を共有していると思った。いくつもの記憶が、この店で甦ってきた。
 店にはいって、棚にポストカード、手前に金子さんが装丁した新刊書、奥にポスターのように大きなカレンダー。そして、絵。その絵を彩る、独特の赤、ブルー、黒、グリーンたち。そうだ、赤は、たいてい、血のような赤だった。それらが、やはりここでも、薄暗い店内の、ほのかな灯りの下に浮かんでいた。あのころと、少しも変わっていない。私は、私のこころの中を、のぞいているような気がした。

美術倶楽部ひぐらし


金子國義さんの表紙

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 『チルチンびと』を 発行している風土社から、歩いて90秒ほどのところの路地に、小さな店がある。そのたたずまいから、カフェかケーキ屋のような。しかし、昼間はいつも仕舞っていて、わからない。ところが、ある夕方、入り口が開いていた。
 オヤッ。
 誘われるように中にはいる。そこは、なんとも懐かしい世界だった。目の大きな少女。こちらを見ているウサギ。黒い服に身を包んだ男。なにか挑発するような女。あれは、「不思議の国のアリス」じゃないか。 ここは、画家・金子國義さんのギャラリー・美術倶楽部ひぐらし だった。
 金子さんが、女性誌の表紙を描いていたことがある。私は、その担当だった。初めて、ご挨拶にうかがうとき、それは四谷のアパートだったが、「うちは、扉が赤いから、すぐわかりますよ」といわれた。行ってみると、アパートのいくつか並んでいるドアの、金子さんの部屋だけが、赤かった。そのドアを開けると、中は真っ暗だった。
 担当者になると、月に何回か、うかがうことになる。まず、絵の受け取りがある。いつも、作品はギリギリにできあがる。暗い部屋の中は、絵の具の匂いに満ちていた。絵はまだ乾いていない。それに汚れやキズがつかないように、運ぶための箱を特注でつくらせたりした。
 しばらくして、四谷から大井へ引っ越すことになった。直接、つぎの家に移ると、いいことがないという卦から、いったん海外へ行くという。帰国したころ、新居を訪ねた。部屋には大きなテーブルがあり、その天板の部分は鏡だった。
<この項つづく>

路地裏のアリス展路地裏のアリス展 5月8日(日)まで
神田神保町1丁目の路地裏、同じ十字路を挟んで位置するアリスと縁の深い3店舗(美術倶楽部ひぐらし・SPIN Gallery・古書たなごころ)とカフェクルークが、「不思議の国のアリス」をモチーフにした展示を行ないます。路地裏のアート散歩に、ぜひおでかけください。

美術倶楽部ひぐらし 千代田区神田神保町1‐26
℡:03(3219)2250

 


baseball の春

野球が、帰ってきた。
ふつうだったら、シーズン開幕とかいうのだろうが、今年についていえば、いろいろなことがあったので、野球が帰ってきた、というカンジである。
作家で詩人の清岡卓行氏が 『偶然のめぐみ』という本の中で、野球という日本語について、こう語っている。
—- 調べてみたら、最初はいろんな訳語があって、漢字の新しい組合せの「底球」とか「基球」とか「塁球」とか、また和語によって「玉遊び」とか、いろんな試みが行なわれていますけれども、結局「野球」が定着したわけですね。野あるいは野原というのは明るく開放的であって、大変清々しい雰囲気があるし、名訳でしょうね 。—-
野球が名訳であることに異存はないけれど、もし、玉遊びが定着していたら、どうだったろう。
神宮球場へ行った。昨年まで、ここで玉遊びをしていたかの斎藤投手が、北の国へ赴ってしまったので、球場はカンサンとしていた。

 

野球


続 ・ 花を見に行く

  — 上野へ花見に。その途中、「十三や」 という、くし屋さんの看板。以前、この店のご主人に聞いた話を、懐かしく思い出した。
 「くしをつくるのに、難しいのは、やっぱり歯ですね。歯をつくる仕事には、蛍光灯はダメです。自然の光じゃないと。そうでないと、歯のなかまで見えないんですよ。だから、夏場がいい時期。朝9時すぎから夜7時こ゛ろまで、座って仕事をしていますよ」
 「 いいくしはねえ、くしの重さと手の重さだけで、力をいれなくても、髪を通るんですよ。ここのくしを買ったひとが、これまで使っていたのに比べると、歯が髪によく食い込んで、怖いっていうんです。でも、くしって、本来、そういうものですよ」
 店の入り口のガラス戸に、春の日ざしが光って、なかの様子はうかがえない。それでも、くしの歯を削り、磨いている姿が、見えたような気がした。

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