書籍

泥の詩人の鎮魂歌

文筆家であり、元「左官教室」の名編集長であり、そして「私のぬりかべ散歩」の著者、小林澄夫さん、別名“泥の詩人”から詩集が届きました。

 

東北レクイエム

蛎殻の海
減反の野
廃屋の棟に
風に吹かれる百合の花
壊れゆく土蔵
終末の予兆は
木の風景の潜点の
そこここに揺れていた

3月11日14時46分

 

ゴールデンバットの包み紙を見ても、庭の木にとまるメジロを見ても、散歩をしていても、ふと考えている東北のこと、放射能のこと、人生の時間の儚さ・・・。

装飾や演出とは縁のない無骨で繊細で実直な“泥の詩人”の言葉の結晶に、静かな力を感じます。

 


境野米子さんからの手紙 ~子どもを放射能から守るレシピ77~

 

あの震災から 早一年が経とうとしています。

 

思いもかけない放射能の拡散に、我が家はすべての豊かさが失われたばかりか、子どもたちが帰ってこれない家になってしまいました。この一年、この汚染の地で自分に何ができるだろうか、残っている子どもたちのために何ができるだろうかと、模索し続けてきました。また、多くの人たちから温かい励ましや支援の品々を送っていただき、この震災が災いばかりではないことを実感してきました。

 

それでも、「この放射性物質さえなかったら・・・」「一年ぐらいで消えてなくなるものだったら・・・」との思いは、県民共通の思いです。咲き乱れる花々、青々した木々の葉や、山々の美しさに、透き通った風の爽やかさに感動すればするほど、不気味な放射性物質への恐怖はいや増します。

 

子どもたちに、孫たちに残していく、この放射性物質こそは人災ではすまされないものです。残される子どもや孫たちのために、放射性物質と闘う対処法を各地で講演してきましたが、多くの方々と少しでも共有していきたいと願い、一冊にまとめました。

 

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じぶんらしく、コスメの著者 境野米子さんが、感受性の強い子どもたちを守るため各地での「放射性物質と食生活」についての講演、料理研究家としての知識を集結し、上梓された『子どもを放射能から守るレシピ77』(コモンズ)は3月末発売予定です。

料理の基本や放射能の基礎知識からチェルノブイリで子どもたちを守ったレシピや、食材別・産地別の対応法などが簡潔でわかりやすく解説されています。自分でできる、すぐはじめられる放射能対策の知恵がつまっています。

 

 

 


ずっと、居たくなるサイト

チルチンびと 71号 ずっと居たくなる家

 3月10日発売の『チルチンびと』71号の特集は「ずっと、居たくなる家」。居心地とデザインのからくりが、楽しめる。
 なかに「デザインで解く木の家の歴史」という、三浦清史氏の文章があり、そのしめくくりに引用してある、吉田五十八氏の言葉が目にとまった。

「新築のお祝ひによばれて行って、特に目立って賞めるところもないしと云って又けなす処もない。そしてすぐに帰りたいと云った気にもならなかったので、つい良い気持ちになってズルズルと長く居たといったやうな住宅が、これが住宅建築の極致である」

 これは、ウエブサイトの極致について、語っているように、思った。訪ねてくる。つい、よい気持ちになり、ズルズルと長く居る。いいじゃないですか。

 この゛広場゛も、そんなふうでありたい、と思った。


暮らし家

 辞典『言泉』で、か〔家〕をひいてみた。説明の4番目に「あることを専門とする人」とあり、その語例が並んでいる。

 医家 演出家 演奏家 音楽家 画家 外交家
鑑定家 企業家 脚本家 教育家 銀行家 芸術家
劇作家 建築家 作家 作曲家 事業家 実業家
宗教家 酒造家 書家 小説家 声楽家 政治家
創作家 彫刻家 著作家 登山家 咄家 批評家
評論家 文芸家 文筆家 法律家 漫画家 有職家

 —- いやいやまだまだ、 114 もの例があった。
ただ、そのなかに「暮らし家」はなかった。暮らし家は、おなじみ塩山奈央さんの゛肩書き゛である。さっぱりしていて、とてもいいなあ、と思う。クラシカと初めて耳にしたとき、私のアタマには、なぜか「風の谷のナウシカ」が浮かんだ。
 塩山さんの『FERМENTED FOOD! 発酵食をはじめよう』(文藝春秋)が出た。ページをめくっていくと、「私のお気に入り基本調味料」という章がある。もしかしたら、暮らし家とは、ステキな暮らしのステキな調味料かもしれない。

FERМENTED FOOD! 発酵食をはじめよう

 


太陽がイッパイ

 雑誌の「夢占い」のページを担当していたことがある。これは、面白かった。たとえば、夢の中に「親戚の人」が現れると、それは「常識の代表」を意味する。夢で「血」を見たからといって、怖がることはなく、それは「革命」と解釈されるのである。
 知人から、メールがきた。「太陽が昇ってくる夢を見た。占いの本で調べてください」。 こうだった。太陽は宇宙の中心で絶対的である。太陽が昇る夢は、エネルギーがあなたのハートに射し込むしるし。強く、たくましい待ち人、来る—だという。太陽のことが、頭にあったので『だからОМ 安心の家づくり』(『チルチンびと』別冊40)を開いて、表Ⅲの広告の「太陽はタダ。」というコピーに、オッと思った。太陽熱をつかまえて、冬は温か、夏はお湯、とある。
 そういえば、昔、聴いた歌に、ふりそそぐ太陽、そよ吹く風、本当に高価なものはみんなタダ、というような英語の歌詞があった。そうさ。いい夢を見るのも、タダ。グッドナイト。

別冊40号


その火暮らし

どういうわけか、焚火に仕込んだ芋が出てこない。子供の頃、あんなに美味いものはないと思った焚火の芋に、いまはそれほどの執着がない。楽しみにしてはいたのだが、すぐにあきらめてしまった。老年とは言いたくないが、齢を重ねて何かがわかってしまうのは淋しいことだ。焚火の芋なんかも、そのひとつではあるまいか。(山口瞳著『禁酒時代』冬支度から)
焚火好きだった山口さんは、その作品の中に、たくさんの焚火のエピソードを書いている。そのどれもが、楽しく、懐かしい。


さて、『チルチンびと』70号(12月5日発売)は、特集「火のある家にはいい時間がある」。薪ストーブ。そこでつくる冬の料理。ストーブまわりのアクセサリー。炭。七輪。火鉢。火熾し。暖炉。焚火。そして、薪ストーブの似合う木の家。と、つぎつぎに、聖火リレーのような。読んで、暖かい。


その火暮らし、も、わるくないと思った。

チルチンびと70号 火のある家にはいい時間がある


江戸の繁盛しぐさ

数年前、公共広告機構が首都圏の地下鉄構内に張り出したポスター。「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」などさりげなくマナーの大切さを訴えた。

実は、広告代理店の若手プロデューサーが本書の著者である「越川禮子」さんの本を読んで感激し、企画制作したものだったらしい。

歴史を語る場合、事実であるかどうかを判断する基準は文章の有無による事が多い。しかし、暮らしの一部と化した「しぐさ」についての古文書は見つかっていない。
日常当たり前のことだったから特に文章に残す必要がなかったし、「書くと俗化するので書くべからず」と言い伝えられていたようだ。

著者の師曰く、「文章化する事自体無理であるし、文章化されると多くの人々は単なる知識としてしか受け止めない。江戸町衆の生活哲学や信条は体験遊学しなければわからない。」

しかし、駅のポスターや最近の世相、人間関係、悪質な犯罪が続発するにつれ、日本人が昔から持っていた知恵を見直そうと一人一人が危機感を持ち、その禁を破り、文章化することになったのだと思う。

江戸では、しぐさを見て江戸っ子かどうか判断したそうだ。つまり、出身地や身なりには関係がなく、全国どこで生まれても「しぐさ」が垢抜けていれば江戸っ子として通ったらしい。
江戸っ子の見分け方の最大公約数は「目の前の人を仏の化身と思える」「時泥棒をしない」「肩書きを気にしない」「遊び心を持っている」の四つといわれてる。

この本で、全貌の1/200くらいを取り上げたそうだ。
著者の師のおっしゃるとおり、「百聞は一見にしかず」であると感じた。
やはり、親が子へ代々伝えていく事は大事である。

a-van


北越雪譜

『北越雪譜』
江戸時代の大ベストセラー。
雪国越後の民俗、習慣、伝統、産業について書かれた書物である。
実は、発案から出版まで40年近くかかったことをご存知だろうか。

書くキッカケは、鈴木牧之が19歳の時。反物を売るために江戸へ上った時のこと。
江戸の人々に雪国のことを話しても、まるで異国の話であるかのように全く理解してもらえなかった。
そこで牧之は雪深い地域での生活文化を広く多くの人々に知ってもらいたいと思った。

しかし、文才がなかったため、山東京伝や滝沢馬琴などの有名な作家に添削を依頼し出版を試みたが、なかなか実現できなかった。
ようやく山東京伝の弟、山東京山の協力を得て出版へ至ることになった。
鈴木牧之が生涯をかけて世に送り出した渾身の作品である。

鈴木牧之は明和7年(1770年)塩沢に生まれ、牧之の次男・弥八が七代目として平野屋(現・青木酒造)を継ぎ、雪国の銘酒を造り続けている。
「鶴齢」という名も牧之が命名したと伝えられている。

鶴齢

歴史を知って飲むお酒はさらに美味しい。
a-van

 


檸檬(レモン)と憂鬱

読めるけれど、書けないという漢字がある。あるどころでなく、たくさんある。憂鬱の鬱がそうだ。若い友人で、この鬱を、スラスラ書く奴がいた。聞いてみたら、大学の卒論で、ある作家をテーマにして、その人の精神構造を分析しているうちに、鬱が書けるようになったと、笑った。
 檸檬も読めるけれど、書けない。三日前、安井隆弥さん(『チルチンびと』で「小笠原からの手紙」を連載中)から、たくさんの檸檬をいただいた。こちらのスーパーなどで見かけるものの、倍の大きさがある。色といい、艶といい、さすが世界遺産 ! である。
 一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰った紡錘形の恰好も。—-と、梶井基次郎は『檸檬』のなかで書いている。小説では、檸檬は一個の爆弾と化すのだけれど、いただいた
小笠原産檸檬なら、憂鬱など簡単に吹き飛ばしてくれる、と思った。


質素の時代

チルチンびと 69号

『チルチンびと』69号は、「明日のための家 – 質素の時代を楽しむ』がテーマだ。自然エネルギーを生かした家、省エネの暮らしなどの記事が満載だ。それらを読んでいて思いだしたのは、桑井いねさんの『おばあさんの知恵袋』という本。1970年代に出版され、ベストセラーになった。大正、昭和初期の暮らしのなかから、生活の知恵をひろってある。

 たとえば、『絨毯の洗濯法』。今日は大雪が降るぞ、という日。庭に絨毯を引っ張り出し、広げる。雪が上に積もると、家中総出で、絨毯を踏む。織り目の奥のほうにまで雪を入りこませ、つぎには、ひっくり返して叩いて、汚れた雪を落とすのである。ウーン。大雪。絨毯を広げられる庭。使用人もふくめ 、大家族の雪踏み。豪快というか大らかというか。これも、質素の時代を楽しむ、でしょうか。

 この『おばあさんの知恵袋』を、もう一度、読みたいと思っていたら、「アマゾンにありました。10円でした。送料のほうが高かった」とtakekoが言った。10円 ! ?  どういう時代なんだろう。