ギャラリー

風狂なひと

風狂伊野孝行個展

 

伊野孝行さんの個展『風狂』が、始まった。(HBギャラリー、4月21日まで)。
伊野さんに関するエピソードで好きなのは、神保町の某コーヒー屋で働きながら、セツモードセミナーに通っていた頃の話。セツ先生から 念願の「A」をもらい、その日は有頂天。コーヒー屋のお店の中から、傘をさして帰って来てしまった、という。驚いて見つめただろう店の人、お客さんを想像するとおかしい。彼の「私のセツ物語」は、コチラからごらんいただけます。どうぞ。

 


お花見は絵はがきで

没後70年 吉田博展

没後70年 吉田博展

没後70年 吉田博展

『没後70年 吉田博展』( 東京都美術館、3月28日まで)に行った。
JR 上野駅の公園口のあたりは、少し様子が変わった。人の気配は、例年の何分の一か、改札口を出て正面に、「新しいお花見様式実施中」のカンバンがあり、「歩きながらのお花見をお楽しみください」の文字。待つ人も待たるゝ人も花見かな…… という俳句のようにはいかない。
〈 美が擂り重なる〉というコピーのついた『吉田博展』は、プロローグ、それはアメリカから始まった……  から、たくさんの作品を観ることができた。が、それももう終わり。帰り、せめて、花のポストカードを買って帰る。
お花見を、どうぞ。

 


窓辺に春

芳野版画展・窓辺で夢を見る

 

西荻窪の絵本やギラリーの店「ウレシカ行く。こちらとは、以前、経堂お店のあったころからの知り合いだが「もう、西荻って7年たちましたよ」という。時の流れ、驚く。トントンと木の階段を上がると、二階のギャラリーでは、『芳野版画展・窓辺で夢を見る』(4月5日まで)開催中。
〈窓はいつも気なるモチーフでした。旅行中、人々の生活の気配を感じる窓辺が気なり、上を見ながら歩く。仕事部屋の窓から、ここから海が見えたら ? と妄想。窓辺花瓶をいくつも並べ、花と光を楽しむ。……〉と、作者のことば。窓辺を楽しむのも、ならでは。
そして、芳野さんは、セツモードセミナー卒。そこでの想い出を「私のセツ物語」で 綴っています。あわせてお楽しみください。

 


電線のない街

電線のない街

電線のない街

 

『電線絵画展』(練馬区立美術館、4月18日まで)に行く。
展覧会のパンフレットに書かれているのは、
〈……文明開化の誇り高き象徴である電信柱を堂々、画面中央に据える小林清親、東京が拡大していく証として電柱を描いた岸田劉生、モダン都市のシンボルとしてキャンパスに架線を走らせる小絲源太郎、電線と架線の交差に幻想を見出した “ ミスター電線風景 ” 朝井閑右衛門。一方で、日本古来よりの陶磁器産業から生まれた碍子には造形美を発見することができます。……〉
見終わって 電線のない街にでる。


コハルアンとうるしびと〈神楽坂デイズ〉

コハルアン

村上修一

 

この「広場」の好評連載「コハル・ノート モノと語る」(はるやまひろたか)のなかで、「会津の塗りもの」について、こう書かれている。

〈 先人たちの知恵を使ってコーティングした、生活のための木の器。そんな観点で漆器を見直せば、高いと思われた敷居は、少しだけ低く見えるようになるかもしれません。僕自身、漆器についてはそういう見方で接してきたので、お椀も家ではがんがん使ってしまいます。味噌汁用の器というポジションにとどまらず、洋風のシチューやスープなどにも。……〉
そして、日々愛用している器をつくる、村上修一さんについて、話が展開する。
その村上さんが、『チルチンびと』107号に「うるしびと」というタイトルで登場。〈会津若松市内の山間部、山道の先に、ウルシの林はある。……
漆掻きの作業手順は至ってシンプルだ。まずはカマで木表面の硬い樹皮を削り取り、表れたやわらかい樹皮にカンナで傷をつける。傷から染み出してくる樹液をヘラで掬い取り、掻き樽にためる。単純な繰り返しだが、足元の悪い山中を動き回る重労働だ。……〉そして、器にうるしをほどこしていく様子も細かく見てとれる。

コハルアンは、地下鉄東西線の神楽坂駅下車。新潮社の一つ手前の通りを入って左側にある。店主のはるやまさんと村上さんの手による器が、出迎えてくれるだろう。

 

『チルチンびと』春107号

『チルチンびと』春 107号 好評発売中


ドアノーのパリ

写真家 ドアノー  音楽 パリ

写真家 ドアノー  音楽 パリ

『写真家 ドアノー  音楽 パリ』(Bunkamura  ザ・ミュージアム、3月31日まで)に行く。会場のパンフレットによれば、「パリに暮らす “  普通の人々  “のきらめきに満ちた生活を目撃する」ということである。
「日常生活の中で偶然出会う、小さな種のような瞬間をカメラに収め、それが人々の心の中で花開くことを思うと大変うれしい。」というドアノーの言葉も、パンフレットにある。「白黒(写真)はいいね」という小さな声を会場で聞いた。今はもう見ることのない、コンタクトというのか密着というのかを、懐かしく見た。
帰りにショップで、ファイルとイチゴジャムを買って、コロナの街へ出る。そんな、冬の終わりの日。

 


回想の『あしたのジョー』

 『あしたのジョー』展

 

あしたジョー』展(世田谷文学館、3月31日まで)に行く。
あしたジョー」は『週刊少年マガジン』に1968年1月から連載された。1973年5月に最終回。掲載当時、ラストシーン話題。そ自分ことを思い出す。会場を訪れている人たちも、そんなふうに、作品と時代と自分を重ね合わせてみているではないか。

 

 


ミュージアムメッセージ

美を結ぶ。ひらく。  美の交流が生んだ6つの物語

 

『美を結ぶ。ひらく。  美の交流が生んだ6つの物語』(サントリー美術館、2月28日まで)に行く。
〈…… サントリー美術館は、2007年3月、六本木の東京ミッドタウンに移転開館して以来、「美を結ぶ、美をひらく。」をミュージアムメッセージに掲げ活動してきました。例えば、古いものと新しいものが時代の枠組みを越えて結びつく。東洋と西洋、国や民族といった文化の境界にとらわれず結びつき、新しい美が生まれる。このように、異なるものが結び、ひらくことは文化の本質であり……〉と、展覧会のパンフレットに、言う。
〈美の交流によって紡ぎ出された物語に出会う旅へ、あなたをご招待します。〉ということである。

 


人間味あふれる写真

『秋山亮二   津軽・聊爾先生行状記』展

 

『秋山亮二  津軽・聊爾先生行状記』展(フジフイルム スクエア 3月31日まで)に行こうとして、地下鉄のホームに降りたら、その広告があった。
広告の写真をみてください。
先生がナントカいう勲章をもらい、ほかに女性の方も受賞。おふたりの祝賀会の場面。正装した先生がカメラを構える。その腰つき。笑顔。その後ろ、女性のお尻と衝突。撮った人、撮られた人。画面から漂うあたたかさ。ユーモア。
写真に添えられたコピーに〈ここに 人間味あふれる  写真家がいます。〉とあるが、いやいや、この一枚の写真が、十分に語っていますよ。

 


太宰治の此の小さい家へ

太宰治の「三鷹の此の小さい家」

太宰治の「三鷹の此の小さい家」

 

太宰治の「三鷹の此の小さい家」に行く。
それは、三鷹駅南口駅前の三鷹市美術ギャラリーの中にある。太宰治は、昭和14年9月から昭和23年6月まで、三鷹で過ごしたということである。このギャラリーのパンフレットに、短い文章を読むことができる。

〈三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来あがると私は、そそくさと三鷹を引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る。けれども、旅に出たって、私の家はどこにも無い。あちこちうろついて、そうしていつも三鷹の事ばかり考えている。三鷹に帰ると、またすぐ旅の空をあこがれる。(『誰』昭和16年)

「此の小さい家」という展示のタイトルはここからきたのである。小さな机の仕事場もあった。