2013年9月 の記事一覧

リオからの手紙①

大槌町

 

あの日、私は仕事に、上の子は小学校の卒業式を一週間後に控え学校に、下の子は卒園式を2週間後に控え保育園に行きました。

2時46分、あの地震が起こり、即、停電。町の防災放送で大津波警報が発令され、私は仕事の服のままバッグだけ持って下の子を迎えに車で保育園に向かいました。普段なら5分あれば着く距離でしたが、信号機も止まっていたため大渋滞。保育園までなんとか15分で迎えに行くことができ、保育園の子供達はみんな大泣きで大変な事になっていました。とりあえず下の子を連れて次に上の子のいる小学校へ。

小学校の校庭には警察官が沢山いて、小学生はみんな裏山にある体育館に避難したと言われました。道は渋滞。私と下の子は、一度、車から降りて歩きだしましたが、車を少しでも高い場所に置きたくて車に戻り、校庭より3メートルほど高い場所になんとか移動させ、そこから歩いて上の体育館へと向かいました。体育館の駐車場は人でごった返していましたが、上の子を見つけ、じーちゃん、ばーちゃんを見つけることができ、安心した直後に津波はやってきました。

空がとてつもないくらいの砂埃、びっくりして下を見ると、町はすでに海と化していました。帰る家が一瞬にしてなくなってしまったあの時、これからどうしよう・・・と考えていました。少しすると、体育館から毛布が配られましたが、まったく足りず、我が家は一枚ももらえませんでした。余震も強く、外に居ても建物の中にいてもいつ崩れるか・・・

ふと旦那の事を考え、どこかで助かっていてくれれば!!と考えていたら、目の前に、山道を力づくで上がってきた旦那にバッタリ会う事ができました。

旦那は、私の職場が堤防近くだったので、心配でバイクで私の職場に向かう途中に津波が来て、津波に追いかけられながらやっとの思いで逃げてきたようです。その間、もちろん車は渋滞。「走って逃げている人をかいくぐってバイクを飛ばした。50人は抜かしたから、その人達は確実に亡くなっていることだろう。」とのことでした。そして、そのままお寺に向かってバイクを走らせ、途中でバイクを乗り捨てて、地面から高さ3メートル位の場所にある実家のお墓まではい上がったそうです。振り返ったら本堂も全て一瞬にして流されたそうです。その本堂も避難所だった為、中に居た50人近くの人はみんな亡くなりました。

旦那曰く、お祖父さんに呼ばれたと。『こっちに来い!!』と。お祖父さんがお墓から助けてくれたと話しています。本当にあと5秒遅ければ、うちの旦那は死んでいました。そのお墓まで上がると、私たちの避難していた体育館に出るのです。その道でも、怪我をした人、腰を抜かした人達が沢山いて、救助しながら上がってきたみたいです。

その日のうちに家族がそろうなんて本当にあり得ない出来事だったので、神様に感謝しました。それが3時半。沿岸は一本道。その道が津波でやられたから、みんな何十キロも歩いて家族の元に帰ったのです。大槌から宮古まで歩いた人もいます。(約42キロある国道45号線は海岸沿いで津波にやられたので、山道を歩いたそうです)

それから何回も津波が引いて、また来ての繰り返しでした。フッと車を思い出し見に行くと、小学校の一階は水没し、そこに止めてあった車約100台はひっくり返ってクラクションが鳴り続けていました。うちの車は3メートル高い場所に置いたおかげで、タイヤまで浸かっていましたがなんとかまだ乗れると思い、みんなに『危ないから行くな!!』と言われましたが、家が流され、車まで無くなるなんて考えられず、津波が引いたのを確認して急いで走って車を取りに行きました。

旦那は職業上、安否確認、ケガ人の運搬なので忙しかったようです。それから2人の子供を車の中に乗せ、高い安全な場所に連れて待機させました。

リオからの手紙②につづく…


自由学園 明日館へ

先日、コラム「私のぬりかべ散歩」取材に同行させていただき、目白にある自由学園に行ってきた。行きたいと思いながら、なかなか機会がなかったが、今回その思いが叶った。重要文化財に指定されている自由学園明日館はフランク・ロイド・ライトと、その弟子の遠藤 新の設計による建物だ。文化財価値保存のため修復工事されているが、ライト自身がデザインしたという照明は当時からのものだそう。タイムトリップが心地よかった。詳しくは次回のコラム「私のぬりかべ散歩」で。