私たちが怖いのは、震災を忘れられること。

今年の夏、岩手県上閉伊郡大槌町という町に家族で出かけました。2011年3月11日、あの地震と津波で、大変な被害を受けた町です。そこに嫁いだ友達がいました。リオといいます。

大学時代の同級生の彼女は、素敵な笑顔で迎えてくれました。彼女もまた津波で家を流され、今現在、仮設住宅に住んでいます。

私は被災者に何か出来ないかと思い、今回の家族旅行を計画しました。私の旦那もこの目で被災地の今を見てみたいと。実際、海沿いの道を車で走っていると、いまだにガレキの山が処分場に山のようにあり、赤いペンキで×と書かれた建物があり、プレハブの商店街、仮設住宅、家が建っていたであろう場所に基礎だけ残ってそこにわさわさと伸びる雑草。堤防も壊れたまま。2年以上経っているのに町がまったく機能していませんでした。

実際、目の当たりにすると、個人が何から手助けすればいいのか、まったくわからなくなります。

そこで彼女に、震災から今まであったこと、どのように生活をしていたか、を思い切って聞いてみました。そして、もし、彼女が嫌でなければ、そのことをブログに載せたい、と。彼女は快く受けてくれ、今までの経緯を手紙にして送ってくれました。

そこで彼女が言っていた『私たちが怖いのは、震災を忘れられること。』

私は、絶対に死ぬまで忘れない。そして、東北復興を祈って、このような形で掲載しようと思いました。次回はリオからの手紙を2回にわけてご紹介したいと思います。