樹木希林さんが、セツの生徒だった頃

樹木希林さんが、セツの生徒だった頃

 

樹木希林さんが、亡くなった。そのニュースは、テレビでも新聞でも大きく伝えられた。しかし、彼女がセツ・モードセミナーに通っていたことは、あまりふれていないようだ。「僕は、同期でした」という、星  信郎さんが、想い出を語ってくれた。


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それは、セツの高樹町時代ですから、1960年代の初めですね。悠木千帆(樹木希林)は、セツの生徒で、同時に文学座の研究生でした。僕より、少しあとに入ってきました。後に知ったことですが、セツ先生のファッション関係の仕事のパタンナーだったOさんの姪とのこと。それが、セツとの縁になったのかもしれませんね。
快活なひとでした。当時セツの事務をしていたNさんに、何かのことでひどく叱られて、Nさんが好きになってしまったと笑って話してくれたことがありました。オトコの好みは、一貫しているように思いましたね。文学座で初めて女中さん役についたとき、その写真を見せてくれたこともありました。ファッションは、アイビー調。なかなかステキでした。
一緒にデッサンをしたりしたのですが、残念ながら彼女の絵については、記憶がありません。卒業してからも、アート展やセツ先生の出版パーティには、何度も来ています。一升瓶など、ぶらさげて。
最近はもう、テレビで見かけるくらいでしたが、亡くなったと聞いて、想い出が遠ざかっていくなあ、という寂しさを覚えました。(カットは、『サンケイスポーツ』9月17日付の紙面から)