1948年6月19日。太宰治と山崎富栄の遺体が、発見された。明星学園高等学校の近く、万助橋の下を流れる玉川上水。明星学園の案内板には、「入水した太宰を発見したのは、本校の若き教員で……」と書かれている。当時は梅雨どきで、水量も豊富で、流れも早かった。川の両岸の下がえぐれていて、ここに入ってしまって、なかなか見つからなかったのだと、噂された。「人喰い川」という名もついていた。それから69年。いま、橋も新しく、鬱蒼とした木々に覆われて、川面をのぞくこともできない。
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