第四十一回 東京の竹を生かしたい

 

 

東京の竹を育て、ゆくゆくは仕事にも生かしたい。ここ数年、そんなことを考えています。考えるだけでなく、すでに一歩を踏み出してもいて、3年前から一箇所、1年半前からもう一箇所、いずれも東京23区内のある場所で竹林整備の真似事をしています。

竹林と言ってもササの仲間、その中では大型の5メートルほどに育つ種が密生する竹藪で、友人たちの助けを借りたり、一人で出かけたりしながら、少しずつ藪を林に変えてきました。長年放置されてジャングルのようだった藪を綺麗にして、やれやれと思っていたのも束の間、葛を中心に大型の蔓性植物が一気に繁茂し、せっかく光の差すようになった林の上をすっかり覆ってしまったり、待ち望んでいた新しいタケノコを旬の味としてきれいに収穫されてしまったり(自分の土地ではないので仕方がありません)で、思い通りには参りませんが、まずは勉強と考えて取り組んでいます。

 
(左)光を遮る蔓性植物 (中央)ササとは相性がいいらしいが… (右)そこかしこ絡みついてこの有り様

 
昨冬には試験的に少量の製竹をしてもみましたが、私の技術の未熟もあって、いまのところ材と呼べるほどのものは得られていません。しかし、これだけの時間を費やしてもなかなか材が得られないことを体で学び、いかに良材とそれを支える技術の貴重であるかを改めて知ることはできました。

東京の竹をいつかは仕事に生かしたい、竹のある風景を残したいという考えから、竹林での活動については本業に差し支えない範囲でつづけるつもりです。けれども、東京が大きく向かっている方向を冷静に見つめれば、遅かれ早かれこの名もなき竹林は消える運命であろうとも想像できます。そして、近頃では産地と呼ばれる地域においてすらも竹材が手に入りにくくなっているという、伝統工芸への注目に逆行するような事態も目にすると、ままごとのような私の試みに意味があるのだろうかという気持ちにもなります。

みずから竹林へ赴き竹を伐り学ぶこと、これも小さいながら竹を生かす方策の一つ。そして、本来やるべき竹籠づくりで優れた仕事をし、得た利益で良い竹を適正な価格で購入すること、そうしてさらに良い仕事をして……という循環も、竹を生かすためになしうる一手。さまざまに模索をしている日々ですが、東京の竹を生かす、日本の竹を生かす、大それたことを考えるそのまえに、小さな自分をまず育てることが先決だよ、そんな声が竹林から聞こえてくる気も。

ことしも見事に咲き、そして散った桜の花びらに覆われた土の中で、あたらしいタケノコがいまかいまかと成長の出番を待っています。
 

 

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