第二十回 仕舞うこと

竹は長いです。スラリとした姿、すべすべした肌が魅力の素材です。そうした魅力の反面、この長い素材を上手く扱うことは難しい。まず伐り出して枝を払い、表皮を傷つけぬように運ぶだけでも大変な労力が掛かり、青竹が竹材としての白竹や煤竹となるには、さらに多くの時間を要します。そうした苦労の末にもたらされた竹を材料として、ものづくりをするのが私の仕事。そのありがたい素材を、良い状態で目的に応じて活用するため、取りまわし易く管理が行き届くように仕舞い方を考える、それも制作の一部と言えるでしょう。

竹が長い一方で、私の仕事場は残念ながら狭く、工夫をしないとすぐに混沌とした状態になってしまいます。細くて軽い材料はまとめて高いところへ。一本では撓りやすい竹も、三本の矢のように数がまとまると簡単には撓りませんので、均質な材をスノコのように並べて保管します。太くて重い竹は、やはり同じような仲間でまとめておきます。ときには竹に縄を巻くなどして傷がつかないように。

(左)下から見上げた様子(中央)太めの竹はべつな場所へ(右)よく使う材料のまとめ場所

仕事場は長い時間を過ごす場所。そこでの時間が集積した結果として、自分の手からものが作り出されます。ですから、散らかり放題で、どこになにがあるかも把握できない状態では、制作上も、また心理的にもよくない影響があると私は考えています。例えば自分の本棚にある本が、そこにあるだけで自然と自分に影響を与えるように、一緒に過ごしている竹の姿が自分の制作に影響を与えるであろう、そこを意識せざるを得ません。

もちろん、美術館やギャラリーとは違う、ものづくりの現場である以上、隅々まで綺麗でチリ一つ落ちていない、というわけには行きませんが、出来る範囲で美しく仕舞うことを心がけています。仕舞い方に正解はありません。各自の経験から最適の方法を導き出すほかなく、そうした意味でもこれはまったく創作・制作の範疇に入るものだと考えられます。また、制作したものを最終的にどう仕上げるか、それもべつな意味での「仕舞うこと」と言えましょう。はじまりとおわり、どちらの「仕舞う」にも、もっと上達したいものです。

 

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