第二十一回 竹は人の手で生かされる

マダケは120年に一度の周期で花を咲かせて実を結び、そして枯れると言われています。人間の寿命とだいたい同じ。しかし日本の竹は竹林全体が地下で繋がっており、その全体の寿命が120年あっても、私たちが一般に竹として認識している稈(かん)と呼ばれる地上の一本一本は、10年ほどで白く枯れてしまいます。そうなる前に人間が定期的に間引くことで竹林が保たれ、人の暮らしにも材として役立つ、持ちつ持たれつの関係が人と竹の間に築かれてきました。

他の樹木ですと、百年千年生きることもあり、美しい木を伐らずに次世代へ残そうという選択も有り得ますが、竹の場合はどんなに美しくても、立ち木のまま孫・子の代まで残すことは不可能です。子孫に美竹を残す方法はただ一つ、人間が伐ること。

煤竹に残る鉈の痕

煤竹の根元には、かつて伐採した人の鉈の痕が残っています。画像の竹には、鉈を二方あるいは三方から合計それぞれ三度振るったであろう痕跡がありました。誰かに伐られ、民家の一部となることで生き永らえた竹は、囲炉裏の火で燻されて、煤竹として百年、二百年後まで伝わり、上手くいけばまだまだ美しく生きる可能性を持っています。それを花入や茶杓、あるいは移築して再び家作りに使うなどすれば、竹林で立ち枯れていくよりもはるかに長い寿命を人と共に紡ぎ出すことが出来る、これは一例です。

煤竹と白竹を花籠に

拙作で恐れ入りますが、花籠を。現代の白竹で籠を編み、その装飾と装甲に時代を経た煤竹を当てて仕上げました。白竹の表皮を刃物で薄く削り落としてありますので、時間の経過と共にその部分が色濃く変じてきます。やがて十年、二十年と経過するうちに、白かった竹が煤竹の色に追いつき、上手く使って百年後まで籠が生きながらえれば、編んだ生地の色が、ついには煤竹の色を追い抜くことでしょう。

自分の作ったものがすべて百年後まで残るとは考えていませんし、なかには消耗品もあり、それはそれで竹林を生かすことに役立ちます。それでも、私の手を経て新しい形になった竹が人の暮らしに生かされ、大事に使われることで百年あるいはもっと先まで残るものもあるかも知れない。生かすも殺すも作る人と使う人次第、その可能性を最近はとくに意識しながら、人の暮らしとともに竹を生かすことを考えています。
 

 

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