第二十七回 数寄者の決死圏

私の携わる竹の仕事において、住宅や旅館のような大きな空間に働きかける仕事をお引き受けする機会が、最近はすこしずつ増えてきましたが、また反対にごくごく小さな世界を作る仕事もあります。

たとえば茶籠(茶箱)に仕組む茶筅筒。茶箱とは茶道具一式を収めて持ち運び、どこでも即席の茶席にしてしまう道具で、籠の場合には茶籠と呼びます。収める茶碗や茶器が小ぶりであるのに比例して、茶筅も小さくなり、茶筅を収める茶筅筒も小さなものを合わせます。

小さな茶筅と初田作の「千筋茶筅筒」

小さなものの制作では、菓子切をよく削っていますが、茶筅筒は菓子切の長さよりも小さく、しかも籠。私が作る竹籠の中では最小クラスです。

菓子切と茶杓

茶杓も短いものをつかいます。ふつうの茶杓を太刀に例えるならば、茶箱の茶杓は脇差でしょうか。こうしたミニサイズの道具は、寸詰まりのバランスからどことなく可愛らしい印象になり、ままごとのようでもありますが、「数寄者」と呼ばれたむかしの人たちが競って誂えた小さな世界の結晶を、いまでも古美術として手にすることができます。

かつての大人の男たちが、ままごとのような道具を愛でる様子を想像すると、微笑ましくもあり、またその執念に驚いたりもします。茶籠に凝縮された美意識は、いわば「ミクロの決死圏」であり「数寄者の決死圏」。小さな道具は数寄者の遊び道具でしたが、現代の私たちの小さな暮らしにも似合うものではないかと、もっと提案したい気持ちが半分、小ささと反対に制作の手間は膨大なので、小声にしておきたいのがまた半分です。
 

 

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