「かごは冬につかうものではない」そんなふうにお考えの方は少なくないようです。竹籠の編み目が軽やかで涼しげなのはたしかで、ふだんの生活だけでなく茶席においても多くは初夏から秋の風炉の時期に取りあげられるもの。四季や二十四節気など、季節のうつろいを大事にし、時期に応じて道具を生かすのは豊かな感性のなせるわざだとおもいます。とはいえ「生かすのは豊か」を言い換えれば「使えない、と決めてかかるのは勿体ない」とも言えるかも知れません。
冬、花を入れるには気が引けて無造作に転がしてある竹籠の編み目から、長い影が伸びていることがあります。そんなとき、冬の籠を愛おしく感じるのは、竹工家である私の贔屓目ゆえでしょうか。太陽が低い空を急ぎ足でめぐるにつれ、形が変わるはずもない籠の、そこから伸びた影だけが姿を変えてゆく様子を眺めるのが好きです。
太陽の白い光が去ったあと、長い夜に灯火から届く光は、竹の繊維を通すことでいっそう暖かに感じられます。ものを納める器としての籠には、たしかに夏が似合うかもしれません。しかし光の器としてならば、冬こそが籠の本領を発揮するとき。
ことしもあと数日で冬至を迎えます。油断して冬の眠りをむさぼっている籠を揺り起こし、いちばんみじかい昼の時間のいちばんながい光と影を楽しんでみてはいかがでしょうか。