第一回 No Bamboo, No Life

はじめまして。竹工家の初田徹と申します。

耳慣れない肩書きですね。プロフィールにもある通り、茶の湯の諸道具に代表される伝統工芸としての竹工芸を軸に、現代の生活を彩るインテリアとしての籠、あるいは用途をもたない造形物まで、竹を素材に制作をする、それが私の仕事です。肩書きの選択肢としては、竹工芸家やバンブーアーティスト、あるいは竹細工職人、籠屋、籠師などいろいろありますが、一つ一つの名称いずれも私の感覚にはなじみませんでした。竹工家という肩書きは私の造語ではなく、それなりに古い言葉ですがいまは使っている人がおらず、私には一番シックリくる言葉でしたので、竹工家を名乗っています。

第51回東日本伝統工芸展入選作『五種竹組小筺』

第51回東日本伝統工芸展入選作『五種竹組小筺』

画像の籠は、茶の湯の道具のひとつ「茶籠」を意識し、伝統工芸の枠組みに添いつつ、オリジナルのデザインで制作した蓋物(蓋付きの器)です。五種類の竹材を、それぞれ素材の特性を生かすべく配して一つの作品に仕上げました。一応、私の考える竹工芸の仕事はこういったものです。

「なぜ竹工芸をやろうと思ったのですか?」これはしばしば訊かれる質問で、最も難しい質問です。キッカケは学生時代のある夏休み。友人らと企てた素麺流しの竹を買うため、とあるお店に入りました。そこは世田谷にある私の実家と杉並の祖父母の家との間にある竹細工店で、子供の頃からお店の前は数百回も前を通っていた場所ながら、入ったのはその日が初めて。竹は売ってもらえませんでしたが、竹籠を色々見せてもらいました。習おうというよりもふつうの客として興味を抱いた私は半年ほど通い、年が明けたある日、後に私の師匠となる、職人であり工芸家である店の主人と初めて対面することになりました。その日はたまたま主人の気分が乗ったものか「ふだん人には見せないのだけれど」と前置きしながら、ひとつの桐箱を奥から運んできてくださいました。箱の中から姿をあらわした『方舟』と題する作品が目の前にあらわれたとき、これは私のやるべき仕事だと直感したのです。今にして思えば、子供の頃から店の前を通っていた私にとって、いずれは出会う運命だったのかもしれません。ともかく、その「方舟」という啓示によって私は竹の世界に導かれ、初めて竹を割った日からこの五月で丸十年が経ちました。

一口に竹といっても世界には数百以上に及ぶ種があり、日本を含むアジアのみならず、中南米やアフリカ大陸にまで広く生息して姿もさまざま。日本で竹細工・竹工芸に使われる材としての竹にも数十種、おなじ種でも地域ごとに性質が異なり、つくられるモノも千差万別です。上記の出会い以前の私がイメージしていた竹や竹製品というのは、実はほんの一部に過ぎないこともやがて分かるようになりました。ずーっと昔から私たちの暮らしの身近にありながら、本当にはよく知られていない竹。

歴史を遡り、人が竹を材料に用いて何かをつくりはじめたのはいつでしょうか。繊維質である竹は土に還ってしまうため、ハッキリとはわかりませんが、土器の登場より以前とも言われています。以来、正倉院の宝物や茶の湯の名品、日本の伝統建築や庶民の暮らしのそばにと、あらゆる所に竹は絶えず存在しつづけていました。竹は成長が早く数年で材となりうることや、内側が中空で且つ強度があるという特異な性質があり、しかも食用にもなる便利な素材だったことから、人の暮らしの近くで栽培され、生活や文化を支えてきました。

この長いながい竹と人との歴史に比べれば、私の十年は本当に短い時間ではありますが、現在、そして未来へとつづく歴史の流れを意識しながら、毎月すこしずつ竹にまつわるあれこれを書いてまいります。どうぞおつきあいをお願いいたします。

 

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