第八話 なぜチェーンソーではダメなのか

お陰さまで無事に年を越し、コラムは8回目を迎えることができました。皆様に御礼申し上げますとともに、本年もお付き合いをお願いいたします。前回、竹を伐りにゆく話を書きました。今回はそこから思いだした話です。

ある日、友人と竹林を歩いていると、不意に彼が問いを発しました。「竹を伐る(切る)には、チェーンソーか?」あまり訊かれない質問です。私は手動の鋸(のこ)を用いていると説明しました。普通の人ならそれで質問は終了しますが、彼はこう続けました。「なぜチェーンソーではダメなんだ?」

なぜでしょうか? ダメな理由はいろいろ挙げられます。切り口が荒れる、危険が伴う、まず鋸で充分、等々・・・しかし、説明しながら私は疑問を感じはじめました。彼が最初に思いついた方法を、私は選択肢の中から排除している。そのことについてです。

もちろん私は彼よりも竹やその扱いに詳しいので、一から考えるのではなくこれまでの経験と知識に基づいて判断します。すると、選択肢が絞られ思考の無駄を省くことはできますが、同時に新しい方法に発展するかもしれない可能性を捨てているかもしれません。竹の切断に限った話ではありません。安易に決めつけず「なぜ」という問いを持つことが可能性を広げます。例えば、この作品の場合。これは、茶籠を意識して制作した蓋物です。

第50回東日本伝統工芸展入選作『千筋組小筥(せんすじくみこばこ)』

第50回東日本伝統工芸展入選作『千筋組小筥(せんすじくみこばこ)』

千筋(せんすじ)という透かしの技法(※注:丸ヒゴを用いる駿河竹千筋細工とは性質の異なる技法です)を用いています。ふつうは蓋物に用いる技法ではありませんが、あえて用いることで、花を入れるなど用途を広げ、活躍の場が減っていく伝統工芸の未来をすこしでも繋ぐことができるかもしれない、と生意気かもしれませんが挑戦しました。これは一例です。

「なぜ〇〇ではダメなのか」 このキーワードを胸に、今後も竹の可能性を探り続けます。

 

 

このページの先頭へ戻る