竹林か竹薮か、それが問題だ

 

適度な間隔に整理され、光の差し込む明るい竹林です。お地蔵まさも安らかな平和的景観。

この写真は、適度な間隔に整理され、光の差し込む明るい竹林です。お地蔵まさも安らかな平和的景観。
そしてもう一方。

こちらは何となく殺伐とした竹薮で、身の危険すら感じる不穏な空気を漂わせていたり、あるいはフェンスをくぐって駐車場に侵入したりしています。

こちらは何となく殺伐とした竹薮で、身の危険すら感じる不穏な空気を漂わせていたり、あるいはフェンスをくぐって駐車場に侵入したりしています。

この違いはどこからくるのか。それは人の手が加わっているか否かによるものです。ふつう、竹が一本だけで生えているところを目にすることはありません。竹は地上に見えている一本一本(これを「稈」(かん)と呼びます)で独立しているのではなく、それらは地下茎でつながっています。ふつうの樹木は成長につれ一本一本が太さを増し高さを増していきますが、竹の場合はタケノコの発生後三ヶ月ほどで急激に伸びたのち、稈自体はほとんど成長しません。そのかわり、地下茎を延ばすことでまとまった竹林を形成し、さらに竹林全体の面積と密度とを増やしていきます。一言で言い表せば、「竹は面的拡大を目指す」これが特徴です。

ですから、常に間引いてやらねばなりません。放っておくと竹林はどんどん拡大して他の樹林帯を侵食し、また密度を増していくことで光の差し込まない薮と化していきます。こういった放置竹林の竹薮化が昨今大きな問題になっているのはご存知の通りです。

さて、私たちが食用としてスーパーや八百屋で見かける大きなタケノコは、ほとんどが孟宗竹(モウソウチク)という中国から移入された種です。食用または農具や日用品の工作材料として、あるいは庭園での鑑賞利用にと、多目的に有用で繁殖力旺盛であるがゆえに移入・移植がなされたのでしょう。日本各地に繁殖しています。先ほど挙げた画像もほとんどが孟宗竹ですが、手入れの有無でその印象は大きく異なってきます。

日本人の暮らしには、一昔前までこうした竹の活躍する場がたくさんありました。大型のモウソウチクをはじめ、マダケやハチクといった竹がその代表的な種類です。先ほど挙げた日用品などは勿論、家や垣根といった住まいや農業、漁業等の生業で用いられる道具の多くがそれらの竹製で、つまり暮しの根幹自体が竹なくしては成り立たなかった、竹に支えられていたと言っても過言ではありません。それほど盛んに利用されることで自ずと竹林が整備され、竹の健康も保たれ人間も助かるという相互扶助の蜜月時代があったわけです。ですから竹林の美というのは人の暮しと深い関係のある人工的美観と申せましょう。

今回、ここまでに挙げた画像はすべて私の生まれ育った地元である東京都世田谷区内で撮影しました。宅地化が進んだ世田谷でもまだまだ竹は随所で見られるのです。これも人と竹との関わりの深さを示すものでしょう。

ところで余談ですが最近気がついたことがひとつ。「竹林」と書いて私は「チクリン」と読んでいるのですが、案外「タケバヤシ」と読まれる方も多いようなのです。おやおや。となると「チクリン」か「タケバヤシ」か、う〜むそれも問題だ。

 

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