人と神が同居する日本の住まい

人と神が同居する日本の住まい

人と神が同居する日本の住まい

日本の住まいにはかつてたくさんの守り神が祀られていました。
そうした神さまは、何も神棚や仏壇にだけいたわけではありません。
かまどかわや、座敷に納戸、暮らしと濃密にからみ合う場所に存在していたのです。
ここでは、民俗学者の森隆男さんの手引きで、家の中の小さな神さまたちを再発見し、
日本人が伝えてきた豊かな精神世界を覗いてみましょう。

文=森 隆男(関西大学教授)

心をもつ住まい

棟木に取り付けられていたという煤で真っ黒になった木槌を、兵庫県の古民家でみたことがある。実用とは思えない細長い柄の小型の槌で、儀礼に使用されたものと直感した。かつてこの地域では棟上げの終わった日の真夜中に、棟梁がひそかに棟に登り、槌で棟木を叩いて魂をこめる儀礼が行われた。この槌はその儀礼に使用された可能性が高い。

また沖縄地方では、台風が襲来した際に、強い風が吹いてもよほどのことがない限り避難することがなかったといわれる。家人が家から離れると、住まいは見捨てられたと思って自ら壊れると信じられていた。

住まいは単なるモノではなく、心をもった家族の一員として観念されていたことがわかる。このような日本の住まいには、いたるところに神々が祀られていた。

比較的新しい神棚と仏壇

住まいの中で神を意識する場といえば神棚であろう。宮殿型の祠の中には伊勢神宮や氏神、近隣の有名な神社が発行したお札が納められている。しかしそれぞれの神名やご利益が特に意識されているわけではない。漠然と家族の生活を守ってくれる神と思われているので、日常生活の中心である茶の間に祀られる。祠は人の背丈より少し高い鴨居付近に棚を設けて安置されているが、高い神格を畏れて客間の座敷に設けている家も多い。日々の拝礼に加え、正月には神饌しんせんが供えられる。

仏壇に祀られている祖先も身近な神といえる。対馬や、静岡県から東では茶の間に仏壇を安置する家が多く、身近な場所で家族の生活を見守ってもらうという。ご馳走やお土産はまず仏壇へ供える。もっとも西日本では座敷に安置する家が多く、祖先との距離感が異なる。

これらの神は家を守る総括神であり、その家を代表する神であるため、立派な祠や仏壇に祀られている。しかし神棚や仏壇の歴史は比較的新しい。中世の終わりに伊勢の御師おんしが、はらいの具である大麻たいまを配付してまわった。これを依代よりしろとみなして家型や宮殿型の祠に収めるようになったのは近世に入ってからであろう。また近世の初めに始まった寺請制度(註)の結果、位牌が住まいの中で祀られるようになり、それを厨子ずし 型の仏壇の中に収めるのは近世の中頃以降である。それに対し生活に密着した神々が古くから祀られてきた。

火の神

火は調理・暖房・照明など生活上重要な役割を果たしてきた。火の威力は神を生み出し、その歴史がきわめて古くまでさかのぼることは間違いない。しかし火の神を生んで黄泉の国に行かざるを得なかったイザナミの神話をあげるまでもなく、火の神は取り扱いを誤ると危険な存在で、いろりの周囲で爪を切ることを禁じるなどのタブーが伝承されている。特に死のケガレを嫌い、沖縄地方では火の神を「三つ石さん」と呼ぶ三個の石を御神体とするが、その家の主婦が亡くなると新調した。愛宕神社や秋葉神社、三宝荒神のお札は、火伏せを目的に火の威力をコントロールすることを願ったものである。

ただし、竈神は家族が生きていくために必要な食に関わる神で、田植えの際に苗三把を供える習俗が広く分布している。オカマサマの信仰も東日本を中心に分布している。この神は多くの子どもを育てる女神として伝承されており、やはり家族の生活を守る神といえるだろう。アイヌの人びとが信じる火の神も、人とさまざまな神の仲介役をする女神で、オカマサマのイメージと重なる。さらに火をおこすことが困難な記憶が火種の継続を求め、大晦日から元旦にかけて火を継ぐ習俗を生み、これを家の継続と重ねるところもあった。

井戸の神・便所の神

水の神、特に井戸の神についても触れておきたい。静岡県では井戸に鮒を入れて目に見える神として信仰しているが、具体的な形態をもつことは少なく正月に注連縄しめなわが張られて初めてその存在を意識することが多い。井戸の神は単に水の神にとどまらず、他界につながる境界の神としての性格ももっている。目にイボのようなできものができたとき、竹製の籠を半分井戸枠に出して「治ったら全部見せる」と唱える習俗がある。籠は多くの目があり、ふるい落とす道具である。これを使ってメイボを他界に落とす呪術と解釈できる。

三年前の流行歌「トイレの神様」で、あらためて知られるようになったのが便所の神である。便所の神も井戸の神と同様に他界につながる場所に祀られることから、他界からやってくる生命と産婦を守るお産の神になる。東日本には生後二週間程度の子どもをつれて便所の神に感謝する「雪隠せっちん参り」の習俗がみられた。また便所の神は暗い空間に住んでいるため盲目で、使用するときに咳払いなど声を出して入らなければいけないともいわれた。便所につばを吐くと、口の病になるという俗信もある。

このように生活に密着した神が私たちと同居してきた。しかしこれらの神々は祀り方を誤ると祟りをなす精霊的な性格をもっており、神棚や仏壇の神仏とは起源が異なるといえよう。

住まいの奥に住む神

二〇一一年の夏に岡山県美作市を訪れた時、住まいの最奥にあるオクナンドに設けられた神棚をみる機会があった。昭和の終わりまで女神である歳神トシガミを祀り、正月には雑煮を供えた。中国地方ではかつて納戸神を祀る習俗が分布していたことが報告され、たとえば鳥取県若桜町では若い女神で非常に恥ずかしがり屋であるため、暗い納戸で祀ったという。

長野県の伊那地方では住まいの奥に荒神が祀られており、その家に危機が迫ると物音を立てて知らせるという伝承が採録されている。よく知られている東北地方の座敷童子も家運が傾くと泣きながら出て行く家の神である。室町時代の史料にも住まいに住みついた神が子どもの姿で主人の夢に現れて火事を予告し、財産を守った話が収録されている。

これらは同じ系譜に連なり、住まいの奥に住みながら家や家族を守る神々である。そして女性や子どもの姿で現れるなど、精霊的な要素をもっている。特に納戸や日常生活空間の神を女神のイメージで受け止めている点が興味深い。その理由は、これらの神に奉仕したのが本来主婦であったことに理由を求めることができるといわれている。さらに納戸については出産の場に充てられ、新しい生命と活力を生み出す空間であることも理由の一つであろう。私は奥の部屋に籠って夫のために高価な布を織った昔話「鶴の恩返し」も、このような住まいの構造の中で理解され、伝承されてきたと考えている。

クチとオクの軸上に配された
神々の領分

玄関付近には悪霊や災いの侵入を防ぐ神のほかに、さまざまな魔よけの装置が見られる。チマキやにんにく、節分には鰯の頭を刺したひいらぎの小枝が取り付けられる。米寿を迎えた人の手形を貼る習俗は、八十八歳が驚異的な長寿と考えられていた時代にその人の生命力を魔よけの力に転化するものであった。

住まいにはこれまでに取りあげた神のほかに、牛馬を守護するうまやの神や蔵の神など実に多様な神々が祀られていた。しかしこれらの神々が無秩序に祀られていたわけではない。出入り口であるクチから寝室に充てられることが多いオクの部屋まで観念上の軸があり、その間に接客の場や茶の間、台所などが配置され、それぞれの場に応じた役割をもつ神々が祀られていたのである。すなわち神々はそれぞれの領分をもっていたわけで、これらの神が人にとって最も安心できる空間である住まいを創りだしていたといえる。

住まいに求められるもの

いつの間にか住まいに住む神々の多くが姿を消してしまった。しかし都市部の洋風の住まいを訪ねたとき、台所の隅に貼られている火伏せの神のお札を見ることがある。ダイニングルームの一角に小型の仏壇を安置している家もあった。原発事故で避難生活を余儀なくされている福島県の仮設住宅では、新しく求めたお札を貼る家があるという。お札は前述のように本来神そのものではなく祓いの具であったが、そこに神の存在を意識することで安心感を得ることができる。

住まいは、物理的に家族や財産を守る場である。それと同時に、心の安らぎを得る場という重要な役割はいつの時代にも変わらない。生活のスタイルが変わっても住まいの中で生き続ける神々の背景に、私たちが長い間に伝統的な「和の住まい」で築いてきた豊かな心の文化をみることができるのではなかろうか。

暮らしの中の神さま(筆者フィールドワークより)

神棚と仏壇
1/鴨居の上の神棚。(新潟県長岡市)
2/ダイニングルームに置かれた仏壇。(大阪府吹田市)

火の神さま
3/関西などでは布袋像を火伏せの神とする地域もある。(京都府京都市)
4/右方「三つ石さん」。(沖縄県国頭村)
5/宮城県や岩手県などの一部では竈に「火男」や「カマジン」と呼ばれる木製の面を祀る。

「クチ」と「オク」の神
6/住まいの奥に設けられた荒神部屋。この部屋に女性が入ることは禁じられている。(長野県大桑村)
7/米寿の手形を張る風習は奈良県など各地で見られる。(奈良県天理市)

クチとオクの概念図
住居空間にはオモテは接客、ウラは日常の場、そして出入り口から遠いところを上席とするカミとシモという秩序が存在する。一方で玄関から最奥の部屋にいたる「クチーオク」の秩序も見られる。オクは、家人以外入らない室であり、祭祀の場でもあった。

クチとオクの概念図

現代の住まいに生きる神様

右/キッチンの食器棚にさりげなく貼られたお札。珍しい狼信仰のある木野山神社のものである。住まい手の町内では「講」の習慣が残っていて、一年に一度、「木野山講」としてお社が回ってくるそうだ。(岡山県倉敷市/写真・川辺明伸)
左/居間のビューローの上に祀られた神棚。家に伝わる神棚だったが、新築の際に今の場所に。(東京都世田谷区/写真・小飯塚周也)

住まいの神さまは、現代も地域の人と人の和をつなぎ、家の歴史をつなぐものなのであろう。(編集部)

チルチンびと 75号掲載

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

Optionally add an image (JPEG only)