美しい菜園の試み-“用の美”を求めて

美しい菜園の試み-“用の美”を求めて
家庭菜園を手がけると、野菜が収穫できなくなる端は境ざかい期には淋しく、
収穫期には手に負えないほど茂ってしまうなどの悩みに直面します。
庭は住まいにとって最も身近な風景。菜園も美しくありたいもの。
千葉・房総半島の自邸の庭でウィリアム・モリスの「用の美」を実践する
エッセイストの鶴田静さんに、美しい菜園について綴っていただきました。
文=鶴田 静 写真=エドワード・レビンソン
私が初めて野菜づくりをしたのは、1976年、住んでいたロンドンでだった。家は地上3階の古いアパートで、道路に面して十数戸が長屋のように連なっている「フラット」。狭いながらもよく手入れされた裏庭があり、バラやハーブや野菜が茂っていた。そこで数人のイギリス人たちと共同生活をしたが、当番
制の食事づくりには、庭で育てているレタスや芽キャベツ、リーキやブロッコリー、ニンジンやハーブ類を使い、質素ながら新鮮な素材の美味しい食事をした。
ロンドン市中の一般的な住宅には前庭と裏庭があり、前庭には花々が美しく咲き乱れ、細長い裏庭には菜園や花壇が入り交じっていた。当時の日本では珍しかった、ハーブの実物と初めて出合ったのも当地だ。
帰国後も、東京の自宅の狭い庭で簡単にできる野菜をつくり、結婚後は小さな空き地を借りて畑にした。そこで一季節に採れたキャベツ50個、トマト300個に自信がつき、もっと多種類の野菜をつくろうと、房総半島の農村に転居した。以来、試行錯誤を繰り返しながら野菜づくりを続けている。豊かな自然の中なので、野菜栽培もなるべくあるがままの「自然」に任せる、という自然農法の〝無為主義〟でやっている。野菜づくりは40年にもなるけれど、未だに素人の域を出ない。


「美しい菜園」の試み
土地がある場合、住まいは、家と庭が構造的にも視覚的にも一体化しているのが理想的だと私は考える。そこで庭を設定するにあたって、家のどこの戸を開けても直ぐそこに庭(外の部屋)があるようにし、土地の立地のままに従って、花壇の区画をあちこちに配置した。
現在、私と夫が野菜を育てているのは、長い畝のある本格的な畑ではなく、花壇形式の小さな囲いの中だ。だから菜園とも言えず、とはいえ〝菜壇〟もしっくりこない。というのはこの囲いの中には野菜だけでなく、花も一緒に植え、野菜と花々を共存させているからだ。つまり、〝畑〟ではなく〝庭〟の中での野菜づくりなのである。
野菜を多年草の花々と一緒に栽培するのは、とかく単調になりがちな野菜のかたまりに、色や形の多彩な花を添えることによって、「美しい菜園」を創出する試みである。もちろん野菜そのものも美しい。トマト、ナス、キュウリ、ピーマンなどの実の野菜は「花落ち」とも呼ばれるが、小さいながらも美しい花を咲かせ、その花が実になる。オクラやズッキーニやカボチャの花はとても立派で、同じ科の花に似た美しさだ。命が生命体になる過程は美しい、そしてその生命体が果てる姿も感動的だ。
私がこのような栽培法を思いついたのは、移り住んだ農村で最初に住んだ古民家の、私たちの畑の光景からだった。野原を開墾した畑に、自然に生えた野の草々が美しい花を咲かせ、野菜をぐるりと囲んでいた。例えばキャベツの若草色の球を、ホトケノザやヒメオドリコソウの明るい紫色がショールのように包んでいた。タンポポやジシバリやカタバミの黄色は、野菜につけた飾りのようで、緑色の苗を引き立てていた。夏野菜の苗の中に、白い花のノコギリソウやヒメジョオン、ニンジンの大きな花が涼しげに茂っているのを見て、この区画も美しいと思った。
そこで、マリーゴールド、バジリコ、ミントなどを野菜と一緒に植えるコンパニオン・プランツを念頭に、栽培種と野生ないし自生種を一緒に植えた。それから多年草の花と野菜を取り合わせて種を蒔き、苗を植え込んだりした。バラの苗の中で菜の花を育てたら、バラは良い花を咲かせた例がある。また、野菜だけの区画は、その周囲を庭の植栽の花が彩るように置いた。


欧米の菜園
野菜と花を同居させる栽培法は、欧米に見られる。ミラノのペンションに、大きな株のバラの花壇があった。白やピンクのバラの花々に混じり、中くらいの大きさの鈴生りのトマトが赤々として、点描画のよう。バラとトマトの組み合わせ!? きれいだった。
花を愛したフランスの作家コレットは、ユリの花の栽培は、スカンポやニンニク、ニンジンやレタスのそばがいい、と書いている。また著書『木を植えた男』にジャン・ジオノは、「キャベツとバラ、ネギとキンギョソウ、セロリとアネモネ。野菜と花が混じり合い、しかもきちんと植わっている」と菜園を描写している。アメリカの画家オキーフは野菜を有機栽培したが、円形に植えたタマネギの中央にバラを植え、緑のレタスのそばに真っ赤なケシを咲かせたという。
このように様々な種類の植物を混然と栽培している私の区画を、私はフランス語の「ポタジェ」(=potager菜園)と自称している。
また同一の野菜を、あちこちに分散した囲いの中で、しかも時期をずらして育てているが、虫の害や(ここではイノシシなど野生動物の害も)、天候や土質による生育不良などが場所によって減じるので、被害を少なく抑えられるという利点もある。


菜園を美しく保つ〝用の美〞
周囲の古い農家を見ると、前庭には花壇はあまりなく、草取りがゆき届き、広々とし整然としている。これは、庭が〝用〟の場として使われているからだろう。民俗学者の柳田國男は、庭は本来「作業場」として農作物の加工などのために使われた、と書いている。室内を美しく保つことと、庭や菜園を美しく保つことは同じレベルの営みである。
無農薬栽培ではとかく葉が病変しやすい。それでその原因の虫取りや草取りは重要な作業となる。葉は枯れ、花は萎れてくる端境期には、花殻や病葉を残しておかず、摘み取りを丹念にする。収穫を終えた株、また花を咲かせて終わった野菜の株や花の苗は、早めに抜き取り、地面を耕して次の栽培に備える。その決断ができずに先延ばしにすると、端境期の荒れた見苦しい菜園になってしまう。野菜が花のそばにあると、花の手入れをするのと同時に、野菜の手入れもできるのがよい。とはいえ、野菜と花を同時に咲かせ、同時に終わらせるのは難しいことではある。


自然素材で
庭づくりに着手してから13年経つが、様々な木が生長し、剪定に忙しい。たくさんの枝が下ろされるので、乾燥させて薪ストーブのたきぎその他に使っている。
太い枝は花壇の縁取りにもする。菜園にも花壇のように、なるべく自然素材を使って縁取りをする。そして縁に沿って雑に生える余分な草を抜き取り、縁取りが常にはっきりと現れているようにすると、見映えの良い菜園になる。
長短の枝は野菜や花の支柱にしている。プラスチックの支柱は、色や質感が目立つが、木の枝だと自然の素材同士なのでしっくりと溶け合い、菜園に異物が混入した感がない。これはウィリアム・モリスの提唱する「用の美」(註)とも言える。花は観賞のためだが、野菜は食べるという〝用〟の基本である。それをつくる場である畑や菜園を、美しく保つことに努力したい。

植物相の中で共に
花も野菜も土、水、日光からの恵みである。そのように木から季節ごとに、種々の果実がもたらされる。わが家の場合、ビワ、ウメの実、クワの実、ユスラウメ、ガマズミ、カキ、クリ、ミカン、キンカン、ユズ、レモンが生る。また食用になる野生種の様々な植物も、自然に従った庭には自ずと生えてくる。シソ、ミツバ、セリ、ノビル、フキ、ワラビ、ヨモギ……。これらもぜひ、庭から食物を得る〝用〟の要素として、菜園に加えたい。
木、花、野菜、薬草、野草の草々は、フローラ(植物相)の中で混然としてあるのだから、強いて種類別に分けなくてもよいのかもしれない。それぞれにある美しさを認め、共存共栄させることで、生命力に満ちた美しい植物で溢れた、自然と人間の共生する「住まい」となるだろう。
註 小誌77号「鶴田 静さんの〝モリスの庭〟〜自然の中に本物の美を見つけて〜」参照。19世紀のイギリスでさまざまなテキスタイル・デザインを生み出したウィリアム・モリス。そのモチーフとなった自然の草花は主に自宅の庭の植物だった。「家と庭を統一する」「地域の独自性を保つ」「庭を生産的にする、レクリエーションとリラックスの場所を」などをはじめ、日常生活に美を取り入れる「用の美」の提唱に、鶴田さんは共鳴。自邸を構えた千葉・鴨川の気候風土にあうようにその理念を実践している。
鶴田 静(つるた・しずか)エッセイスト・翻訳家。
東京都に生まれる。明治大学文学部卒。1975年〜77年までウィリアム・モリス研究のためにイギリス滞在。ベジタリアンになり、その思想と料理を研究。帰国後1979年、最初のエッセイを出版して以来、自然生活、環境、食文化、庭園と草花についての執筆、英語翻訳をする。各所で講演・講座をし、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌に登場。現在、夫の写真家エドワード・レビンソンと犬1匹と房総半島の農村に在住。『宮沢賢治の菜食思想』(晶文社)、『ウィリアム・モリスの庭』(東洋書林)など著書訳書多数。
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