年間約2万トンのCO2を吸収する山長の森
年間約2万トンのCO2を吸収する山長の森
紀伊半島南部、和歌山県田辺市の総合林業企業「山長商店」を訪ねた。
第二次世界大戦後の農地開放により、
農地は農業従事者のみに所有権が与えられ「大規模農家」は
不在地主として農地所有を制限された。
一方、山林はそのままの所有権形態が認められた。
現在の日本林業の状態は、国有林、大規模林業家、中小林業家、
里山を含む零細山林所有者に分かれる。
問題は、中小林地、零細山林の「高齢化と相続による不在地主化」による
「林業放棄地」の増加である。
また、ウルグアイラウンド以降の「木材自由化」による木材価格の下落、
梱包材・造船材・建材のダンボール・グラスファイバー・工業製新建材への転換、
輸入合板・集成材の増加と、林業経営者は厳しい環境におかれてきた。
写真=酒谷 薫
太陽に向かって
まっすぐ育った木々に囲まれ
思わず深呼吸したくなる
国産材の家が、地球を守る
立木伐採、原木搬出、製材、納材、植林・育林と、60年〜70年のサイクルで動く林業は、CO2の固定と吸収を行う唯一の産業である。環境省の基準で計算すると、山長グループ6000ヘクタールの森は、年間2万トンのCO2を吸収し、森全体で固定されているCO2は約200万トンになる。生産される木材は都市に運ばれ住宅となり、長期にわたりCO2を固定化する。
山長さんの木は、見せたくなる
神奈川県湘南地域の加賀妻工務店(高橋一総社長)は、全棟、山長商店の木を使う。設計者である高橋社長は「山長さんの木は木肌のキメが細かく、見せたくなる」という。木を見せるデザインが同社の強みとなり、年間21棟をコンスタントに受注している。
よく手入れされた山長の森は、下草が茂り、豊かな植生と生物多様性が育まれ、有機的で豊かな土壌をつくりあげる。この土壌が水を蓄え浄化し、沢となり海へ下る。山長の木肌の美しさは、何代にもわたる「山の手入れ」の賜物なのだ。
家づくりは、家族の思い出づくり
山長の森は、都会からの見学者を受け入れている。多様な植物に出会える森へ、ご家族と行かれたらどうだろう。柱や梁となり「家」になった森の樹々が目に浮かぶ時、この森での一日が家族の大切な思い出となるに違いない。
住宅施主の「国産材で家を建てる」という選択が、日本の森林と地球を守ることにつながる。
1 伐採
丸太を伐り出して搬出を行う。取材した生馬地域は山長商店と請負契約を結んでいる搬出班、久保組の久保琢二さんと妻の有沙さんが担当。チェーンソーで伐倒した丸太を集材し、プロセッサーで枝払いと玉切りを同時に行う。「直径と曲がりを見ながら、あらかじめ製材目的に応じた長さ3m、4m、6mにカットします」と榎本会長。
2 貯木場にて仕分け
上富田町田熊にある山長商店の貯木場。県内各地の山で伐採された丸太が1カ所に集められ、直径と長さと品質で仕分けられていく。丸太の切り口に書かれた数字は直径の大きさを示し、50なら直径50センチ。丸太は外側にいくほど年輪が詰まり、硬くてよい材になるという。
3 皮剥き
貯木場から運ばれた丸太は、山長商店の本社に隣接する製材工場に運ばれる。製材に備え、まずは機械で丸太の皮を剥く。鉛筆を削るように刃が丸太の周囲を回りながら削るリングバーカーを用いる。剥いた皮は乾燥機のバイオマスボイラーの燃料として再利用される。
4 製材、乾燥
規格材の角材はコンピュータ制御された無人の機械で、特殊な大きさや長さの角材は送材車付き帯鋸機を用いて有人で製材する。製材工場の敷地内には24時間稼働の減圧乾燥機6機、高温乾燥機6機、羽柄
用乾燥機1機があり、主に柱や梁など構造材の乾燥に用いる。板や間柱など羽柄材の乾燥需要の増加に対応するため、今年4月に操業を開始したYSS工場に100立米の乾燥機2機が新設された。
5 強度測定
角材はJAS等級区分のために節の有無など1本ずつ人の目で確認し、含水率と強度測定を行う。含水率20
%以下、ヤング係数は杉E70、檜E90以上の厳しい基準をクリアしたものが山長商店の木材となる。平角材や板材も同様の測定を行い、品質が安定した木材供給に努めている。
6 プレカット、手刻み
「匠のプレカット」として斜め加工や丸太梁の仕口加工もできる機械を導入。機械に任せ切るのではなく、職人の目で木を見て機械にかける。手加工で半日かかる仕事が30分で終わり、極力機械化して加工のコストを下げている。複雑な加工があれば常駐の棟梁と大工が加工する。
7 CAD室
本社2階の「CADオペレーション室」には、建築士の有資格者も含め12名が配属。工務店ごとに専任の担当者が決まっているため、綿密な打ち合わせもスムーズに進む。工務店から届く図面と仕様書をもとに最新鋭の3DCADソフトで立体的に構造を確認し、プレカットの加工を決めていく。
林業の六次化から、DX を視野に
1972年、山長商店は首都圏に販売会社「モック」を設立、工務店への直販を始める。そして協同組合「匠の会」の千葉工務店・千葉弘社長と出会う。この出会いが、都市部の工務店のニーズを直接吸収する山長独特の仕組みを生み出した。工務店との協議の中から「紀州山長60年生の杉檜」としてブランド化、平角梁・大黒柱のプレカット、木材の強度と含水率を自動計測・印字し、1本1本品質を表示した。工務店直通のCAD室を設置し構造計算をはじめ木拾い、製材ライン指示書のデジタル化を進めた。現在、納材工務店は200社を超える。
川上から川下まで歩く林業家
山長の榎本長治会長(75)は、歩く人だ。山を歩き土場を歩き工場からCAD室まで、そして200社を超える工務店に足を運ぶ。6000町歩の大山林所有者にして、川上から川下まで一貫生産をする山長グループの経営者が、都市の工務店1社1社を訪ね膝を交えてニーズを聴き取る。仕組みづくりで終わらないこの姿が、山長の最大の武器である。
早稲田大学で経営を学び、東京大学農学部で林業を学んだ榎本さんは、常に科学的裏付けをもって語る。そして、歩く。最先端の情報を、足で収集する。日本林業の未来を切り開かんとする情熱が、榎本さんを突き動かしているのだろう。
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