塗り壁の四季
消えゆくたたき土間
文、写真=小林澄夫
土間とかニワ(庭)とは、家の外であれ、内であれ、しかるべきところに地をならしてできた、硬く平らな場所のことである。この土間やニワをつくるとき、地べたの土をたたき締めることから、それは「たたき」といわれ、屋内の土間や軒下の犬走りのことを「たたき」と呼ぶようになった。そういう意味では「たたき」土間は、縄文の半地下の竪穴式住居にはじまり、奈良時代の寺院の基壇の版築にまでさかのぼることができるだろう。「たたき」が土間やニワの呼び名になったのは、安土桃山時代の草庵茶室の「深草たたき」や、明治初期のセメントがまだない頃、三河の左官職・服部長七が東京ではじめた「三州たたき」によってではなかろうか。「深草たたき」は、京都の深草で採れる山砂を石灰でたたき締めたもので、「三州たたき」は、三河のサバ土(風化花崗岩の砂利土)と石灰をたたき締めたもの。「深草たたき」は茶室の土間仕上げとして、「三州たたき」はセメントがない時代の丈夫な床仕上げとして、名前が知られるようになった。
「たたき」のことを、「三和」とか「三和土」と表記することがあるが、「三和」は、粘土と石灰と苦汁の三つを混和することで「たたき」を三和と書いたのであろう。ほかに「二和」と書いて「たたき」と読ませるものもある。これは、粘土と苦汁の二つを和したものを「二和」というのであろう。恐らく、粘土だけの「たたき」は乾燥すると土埃が立つので、土埃をおさえるために湿気を呼ぶ苦汁を混ぜたのだと推測する。地べたを硬く平らにならすことから始まった「たたき」は、粘土だけの版築、苦汁を混ぜたもの、石灰を加えたもの……と、より硬く丈夫なものへと進化し、いまのコンクリートモルタルの土間が生まれた。それぞれの床の機能に合わせて、単一化してきたといえる。まだ戦後間もない頃、田舎の私の家の土間や犬走りは「たたき」で、そこで独楽をまわしたり、メンコをして遊んだことを懐かしく思い出す。硬く丈夫というだけのモルタル土間が何か味けなく思われるのは、歳のせいだけであろうか。昔は土間やニワは仕事の場でもあり、犬走りは犬がよろこんで走りまわる場所であり、小さな子どもが遊ぶところでもあったのだから……。
小林澄夫(こばやし すみお)
1943年、静岡県生まれ。40年以上にわたり左官専門誌の編集者として活躍し、全国に残る伝統的な土壁と、現代の左官仕事の豊かさを紹介し続けてきた。著作に『左官礼讃』 『左官礼讃Ⅱ 泥と風景』(ともに石風社刊)。編集長を務めた『チルチンびと別冊34号 左官と建築』、新たに創刊した『左官読本』1~10(風土社刊)も発売中。
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