先人の知恵を守り継ぐ-森野旧薬園と大宇陀を訪ねて

薬草を愛する先人たちによって守ら れてきた森野旧薬園

先人の知恵を守り継ぐ
森野旧薬園と大宇陀を訪ねて

時の八代将軍・徳川吉宗の薬草政策を受け、
奈良・宇陀に「森野旧薬園」が誕生したのは
今から約300年前のこと。
現存する日本最古の薬草園であるこの旧薬園を、
現在でも守り続けている人びとがいます。
そして良質な水と土に恵まれた大宇陀には、
野草の効能を尊ぶ生活文化が根づいています。
植物と人がつなぐ営みを、大宇陀に訪ねました。

文=近藤夏織子 写真=輿水 進

つづら折りの古い石段を、ゆっくりと上る。ハナノキの梢の向こうに広がる、大宇陀松山町の家並み。古城山の麓に開かれた「森野旧薬園」を上るにつれて、視界は足下、手元にも広がっていく。石垣の土手に群生するセリバオウレンの実やカタクリの花の可憐さに立ち止まり、茂みにアマナやハナミョウガを見つけては感嘆する。古城山を登るにつれ、時が遡っていく。無数の生命の営みによって、浄化された世界が現れる。

「薬園は、代々『薬草愛』にあふれる人たちによって守られてきました」と噛みしめるように言う森野燾子てるこさん。森野家に嫁ぎ、旧薬園を見守りながら森野家を支えて半世紀余り。一緒に薬草を説明してくださるのは地元の古老、原野悦良えつろうさん。江戸中期に開設され、今なお約250種の薬草が生育する旧薬園の管理を8年前から委託されている。

貴重かつ個性豊かな薬草たちを、時に鋭く、時にやさしく見守る眼差し。小柄で物腰やわらかな風情のうちに蓄積されている膨大な知識と経験、情熱。原野さんの甲斐甲斐しい仕事ぶりの向こうに、300年近くにわたって薬草を見守り続けた森野家の先人たち、そして大宇陀の風土への思いが広がる。

古代、不老長寿の
薬草を採る地

宇陀市大宇陀は、旧宇陀郡西部、口宇陀地域に位置する。西は明日香、東は伊賀、北は大和高原、南は吉野に接する交通の要衝、物資の集散地として古代から栄えた。神武天皇東征伝承、壬申の乱でも重要な基地となった大宇陀。大和盆地からみて東方の大宇陀は、太陽が昇る再生エネルギーに満ちた地であり、神仙界である吉野・熊野地域への入り口でもあった。ところで中央構造線上にある口宇陀地域の菟田野うたのは、昭和30年代、日本最大の産出量を誇った水銀の一大産地だ。古代神仙思想では、火や血液を象徴する朱色は、魔除けや延命長寿の力をもつとされた。そこから朱色の顔料である水銀系鉱物(丹)を尊ぶ丹生信仰が生まれ、水銀産地で採れる動植物こそが最高の不老長生薬とされた。

また『日本書紀』に、5月5日の菟田野(宇陀野)での宮廷行事「薬狩」の記述がある。邪気のこもりやすい梅雨前に、厄除けのために生命エネルギーを取り入れようと鹿の角や薬草を菟田野で狩る薬日の行事で、源流は、5月5日に古代中国南部で行われた薬草採取の民間行事と、3月3日に高句麗王朝で行われた狩猟行事とされている。このほか『日本書紀』や『日本霊異記』にも菟田山宇太郡うたぐんで採った薬草を食べ、長命になったり天を飛んだという記述もあることから、古来から宇陀地域は東方の仙郷、霊力に満ちた薬草採取地というイメージがあったのかもしれない。

 

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