60代70代 膝と腰にやさしい椅子選び

60代70代 膝と腰にやさしい椅子選び

60代70代 膝と腰にやさしい椅子選び

見た目の好みだけで椅子を選んでいませんか?
無理をしてサイズの合わない椅子に
座り続けることは、膝や腰の痛み、
肩凝りなどの体の不調を招きます。
自分にフィットし、長く快適に座れる椅子選びを
デザイナー・井上昇さんの監修で考えます。

文=井上 昇 イラスト=越井 隆

椅子の文化論
日本における生活スタイルの変化

現在の我々の住む家は、以前の住宅とはまったく様変わりしました。伝統的な木造民家、数寄屋造りの住宅、美しい床の間がある部屋、畳、障子、灯りは行燈、食器棚は水屋、料理はかまど、食事は座卓、座布団に正座、寝具は布団、収納は押入、衣類は箪笥という、数百年続いた生活から一変しています。

日本の住宅は「家具の中に住む」スタイル

日本住宅は高温多湿という気候、部屋を暖めるというより、より風通しをよくし、室内を清潔に保つために高床式に。泥から部屋を守るために靴を脱ぎ、板の廊下をへて寝転ぶこともできる畳に座る。食事はお米を主食とし、食事は低い座卓に正座で座る。天井も低くて済み、寝具の収納は造り付けの押入。仕切りは明かり取りも兼ねた日本和紙の障子。いつでも部屋を間仕切れ、大部屋にもできるスライド式の襖。建材も加工し易く豊富な木材、体格も小柄ということで「家具の中に住む」スタイル。日本住宅のスタイルは世界的に見ても独特。東南アジアのモンスーン(大風、大雨)に適した高床式に近い。

欧米の住宅は「石・レンガの中に住む」スタイル

欧米の家屋は、寒い気候と長い冬、雨が少なく乾燥地帯。建材は身近で手に入り、加工し易く綺麗な石灰石等の石材(大理石も)、レンガが手に入り易く。木材は貴重で屋根や家具に大切に使う。食事は牧畜から肉食、冬は家畜の飼育にも都合のよい耐寒、暖房設備が重要で、靴を脱がずそのまま外と室内を移動。気候も乾燥しているので靴でそのまま部屋に入っても違和感が無い。

基本的に床も石なので箱の家。寒い気候ばかりでなく外敵から身を守るという背景もあり、ドアや窓は小さく要塞に近い。イメージとしては石の洞窟と思うと分かり易い。「座る椅子と食事をするテーブル」「収納棚」「キッチン」「寝るベッド」という「置き家具」がないと生活が成り立たない。以前、イタリアの聖フランチェスコで有名な「アッシジ」の街を歩いていたら、住宅は床も壁も天井も、屋外の道路も教会も全部が綺麗な大理石。耐久性があるので、数百年にわたって何世代も同じ住居に住む。

現在の日本の住宅

しかし、現在の日本家屋は昔と違い、「耐震耐火住宅」「高層マンション」「冷暖房完備」「窓は気密にすぐれたアルミフレームガラス」「照明は省電力、安全なLED照明」「床はフローリング」「食事はダイニングテーブルと椅子」「寝具は羽毛布団、ベッド」へと大きく変わっています。この変化は「建築基準法」の改正、「消防法」などの規制から来てもいますが、それ以上に住宅設備機器の性能、機能性の格段のアップは目を見張るばかり。安全、安心、便利、清潔、快適さに慣れた私たちは、もう以前の生活様式に後戻りは出来ません。

渡辺力さんのお話

私の尊敬する100歳まで現役のデザイナーだった、故・渡辺力さんに「戦前の東京は美しい日本家屋が数多く残されておりとても綺麗だったでしょうね」と言いましたら、「とんでもない街は汚くてゴミが溢れ、道は臭くて(馬車の馬のフンで)ぬかるんで泥だらけ、戦後の今のほうがずっと清潔でいいよ」との返事。私も以前の日本の暮らしに憧れて、2012年の暑い夏に京都の町家に1ヵ月住んだことがあります。そこには失われた日本の面影、心に染みる家の美しさが溢れていました。畳、葦簀仕切りは、実に日本の高温多湿の気候に合っていて快適なのですが、「座卓に座布団、布団」の生活は、「椅子にテーブル、ベッド」に慣れた今、続けることはとても苦痛で、私の設計した低座椅子を持ち込んでやっと快適に過ごし、美しい京都の生活を楽しみました。

昔と変わったもの
椅子は必需品

日本の伝統は、住宅設計における身体尺を引き継いだ畳のモジュール・尺が、センチメートルに変わった今でもしっかり生きています。サブロク(3尺×6尺)をはじめとする日本の身体スケールの伝統は建築ばかりでなく家具、テーブルでも隅々で使われています。島国で、美しい日本の四季の変化、風土の中で長年において培われ伝統に裏打ちされた美しい日本間の佇まい、美術、家具、食器、着物、庭、盆栽、生花などの日本の伝統文化は、生活スタイルは変わっても形を時代に合わせ深化しながら、今も大切に引き継がれているのです。日本の宝ですものね。その中で生活が「欧米スタイル+日本スタイル」になったことで、椅子はなくてはならぬ必需品になりました。

昔と変わらないもの
日本人の体型

生活スタイルが変わっても昔も今もほとんど変わらないものがあります。それは「日本人の体型」です。私たち日本人は長い間お米を食べる食習慣があり、その消化を助けるために腸が長く、その収納場所の胴は長く足が短い。肉食文化の欧米人は、肉は消化がいいので腸が短く、その収納場所の胴は短い。さらに足が長い。これが現実です。

日本人の女性の平均身長は約158センチ。欧米人の女性は約168センチ、身長ばかりでなく肩幅が広く、腰も大きく、スタイルも含めて体格の差が多くあります。日本人と欧米人の体格差、胴と足の長さの違い、さらに靴を履く生活と脱ぐ生活。この違いが、日本人が座る椅子に大きな意味を持ってきます。

日本人とアメリカ人の体型比較
日本人は欧米人に比べて小柄で、胴が長く脚が短い。日本人女性の平均身長は158cm(左) 。一方、欧米人女性の平均身長は168cm(右) 。10cmの身長差があるが、座高はほぼ同じ。また、座面前部から膝裏までの距離が大きく違っている。

椅子は「健康器具」
どのような椅子がおすすめか

ところで椅子は、体に密着して使うので、下着、上着に次ぐ3番目の服とも言われます。下着や上着は自分の体型、サイズに合わせて選びますよね。椅子もまったく同じです。自分のサイズに合っている
ことが、長く快適に座れるポイントです。

ここからは、私の40年に及ぶ椅子開発の経験、「日本人の人間工学」の視点から、膝と腰にやさしい「日本人の椅子」選びの五つの原則を紹介します。

①自分の体のサイズに合っていること

座面の高さは「身長の1/4+1センチ」が目安です。深く腰を掛けて座った時に、膝が直角に曲がり、足裏が床に着くことが基本。

●膝裏と太腿の裏側にも注目

膝裏、太腿の裏側に圧迫感がないことも大切。座面前部の縁と膝裏の間に指2本分、座面前部の縁と太腿の裏側の間にはハンカチがスーッと抜ける程度の空きがあるとよい。座面が高いと、太腿の裏側が圧迫され、血行が妨げられる。

②背をしっかりサポートしてくれること

椅子には、ローバックチェア、ハイバックチェアの2種類あります。人間工学的には肩甲骨の下まで背をサポートする椅子がローバックチェア、肩甲骨の上までサポートする椅子がハイバックチェアです。一見、ハイバックのほうが見栄えがよく背をサポートしてくれるように思いますが、おすすめはローバックチェアです。その理由は、ハイバックは上半身の動きを制限しますが、ローバックは背の動きを制限せず筋トレ効果があるためです。

椅子の設計においては、お尻の下の坐骨結節という左右2カ所で体重を支え、背は骨盤の上部の背支持中心点で背骨を支えます。この2カ所をしっかりサポートすれば人間工学的に椅子の機能は十分なのです。

●ハイバックチェアの注意点

ハイバックチェアは、後ろに背伸びしにくいので前屈みの姿勢になりがち。前屈み=猫背になると、背骨の椎間板が前側に圧迫され、さらに重たい頭を支える背筋が疲労し、神経を圧迫するため、首の痛みや肩凝りの原因にもなる。

③短めの肘付きを選ぶこと

椅子には肘付きと肘なしがありますが、肘付き椅子がおすすめです。

肘の重さは体重比で左腕、右腕はそれぞれ全体重の8%ずつ、合計で16%。体重60キロの方で、9.6キロの買い物袋を両手に持っていると置き換えれば、よく理解できると思います。それを持っているのは、肩甲骨とそれを支える背筋、上腕筋です。この9・6キロの荷物を支え、肩代わりをしてくれているのが肘付きです。つまり、肘は肩の筋肉が疲れるのを防止し、さらにリラックスさせてくれます。

しかし、肘は椅子に座る時に邪魔になる場合があります。そこで、邪魔にならない長さの「ちょい肘」がおすすめです。

●高齢者にとっての肘

高齢者にとって肘は、二つのサポート機能を持っている。第一に立ち上がるときの支え。第二は左右の体の支え。これらは、転倒防止と肘に摑まることで杖の役割も。肘の最大利点は、手で摑んで姿勢を安定、矯正させる動作ができることにある。

④座面にクッションがあること

やや固めのクッションと中程度の厚さが大事(理想は、固い座の上にやや固めのクッション+やわらかめクッションの3層構造)。座り心地だけでなく、保湿効果、汗などの湿気を吸収し快適に過ごす役割もあります。

●薄過ぎ、厚過ぎ、やわらか過ぎに要注意

薄過ぎる:坐骨結節が直接座面に当たる(痛くなる)ため、長時間座ることに向いていない。若いときは自分の弾力あるクッション=お尻の筋肉があるが、高齢になると筋肉がやわらかく少なくなり、骨盤が直接座面に当たるため、体が痛くなる。

厚過ぎる:坐骨結節がクッションにめりこみ、体が安定しない。その結果、腿裏を圧迫し血流を止めやすく、長時間の座りに適さない。厚いクッションは、見た目に快適そうに見えるが、人間工学的にはNG。「誤解例として、座布団を積み重ねると座り心地がよいという親切心で高齢者にすすめるケースがあります。これは無知の典型で拷問に近い最悪のケースです」。

やわらか過ぎる:風船にのっているイメージ。しっかり体重を支えられず、体が不安定に。結果、神経が反応して疲れる。また、腿裏を均等に圧迫し血流を止めやすく、長時間の座りに適しない。「無圧クッションなどがこの例にあたります。人間工学的には推薦出来ません」。

⑤座面の傾斜角度が緩やかなこと

傾斜角度が大きい椅子はお腹を圧迫します。滑らない程度の角度(2〜4度)の座面がおすすめです。また、座面の角度や形状に加え、素材も大切。実際に座って確認しましょう。

五つの原則、お分かりいただけましたでしょうか。デザインが重視されがちな椅子選びですが、自分に合わないものを使い続けることによる体への負担は計り知れません。今や椅子は、単なる「座る道具」から「健康を左右する道具」になりました。特に高齢者にとって、椅子は健康器具なのです。

楽な姿勢をつくる
チェックポイント

◎よい例
肘掛け/適当な高さの肘に腕の重さを預けられ、肩が凝らない。クッション/やや硬めで適度な厚さのある座面は、体重をお尻の下の坐骨結節点(お尻の下の2カ所の突起)で支える。体圧を均等に分散するため、圧迫感を感じない。

×悪い例
肘掛け/肘の位置が高すぎると、肩をすくめたような姿勢になり、肩が凝る。クッション/厚すぎる、やわらかすぎるクッションは、体を内側に向かって押し曲げるため、体が安定しない。腿裏は圧迫され、血流が止まりやすい。

楽な姿勢をつくる
チェックポイント

「骨盤が上がって心地よく感じる」背と座が○

楽な姿勢をつくる

背骨:人体の構造から、背骨は立っている時・寝ている時のS字状の状態が、体に負担が少ない理想形とされている。背骨のS字=楽な姿勢をつくるには、背支持中心点で背骨を支えられる背もたれを選ぶこと。背支持中心点は、骨盤の上部の第4腰椎・第5腰椎の周辺にあり、へその裏側とベルトを着ける
位置の真ん中を目安にするとよい。背骨が正しく伸びていると、腹部にも圧迫がかからない。

座面前部と膝、太腿の裏側:座面前部と膝裏、太腿の裏側の間に適度な空きがあり、太腿の裏側が圧迫されない。座面前部は、丸みのあるものがよい。

坐骨結節点:坐骨結節点(お尻の下の2カ所の突起)で体重を支えられているか注目する。また座面が滑ると猫背になり背骨のS字を保てなくなるので、座面と背もたれの角度・形状や素材についても、実際に座って確認するとよい。

座面の高さ:身長の「1/4+1cm」を目安に。深く腰を掛けて座った時に、膝が直角に曲がり、足裏が床に着くことが基本。座面が高いと、太腿の裏側が圧迫され、血行が妨げられる。

井上 昇(いのうえ・のぼる)
1944年福岡県生まれ。武蔵野美術大学、㈱岡村製作所開発部を経て、米国・ミシガン州CranbrookAcademy of Art大学院・修士課程を卒業。現在、㈱いのうえアソシエーツ代表取締役。千葉大学工学部小原研究室・小原二郎教授の指導のもと製品化した、日本初のコンピューターチェアのオカムラ「27エルゴノミクスチェア」、コクヨ「バイオテック1」、イトーキ「サクラルチェア」(1998年「発明賞」社団法人・発明協会)、天童木工ほか、多数の椅子をデザイン。使われてきた椅子は、東京都庁第2庁舎の7036脚の事務椅子など400万脚を超える。1999〜2021年「井上昇の椅子塾」主宰。近年、2004年“腰の椅子”「Awaza」を開発し、販売に参入。

チルチンびと 112号掲載

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

Optionally add an image (JPEG only)