美しい花から逃れられない
京都大原の山里に暮らしはじめて
美しい花から逃れられない
1994年に京都大原の山里に引っ越してきた梶山さん一家。
イギリス人の妻・ベニシアさんが庭づくりにめざめ、
梶山さんもハーブの力で怪我から回復するなど、
庭は 一 家にとってなくてはならない存在。
庭とともにあった22年を振り返ります。
文・写真=梶山 正
大原で暮らし始めて、今年で22年になる。ベニシアにとっても僕にとっても、この人生でここの暮らしが一番長い。長く暮らしていると、当然、家や庭の手入れが必要だ。たとえ、時間がかかって上手にできなくても、できるだけ自分でできることは自分でやるべきと思っている。そうすることで、喜びが湧き、新たな発見もある。
若いある時期、僕はフランス料理のコックになりたいと思っていた。その頃はレストランで修業をしていたが、毎週休みになると料理の勉強のため、フランス料理を食べ歩いた。上等な料理に感動して、いつか僕もこんな料理をつくろうと希望を持っていた。ところが、だんだん疑問が湧いてきた。
ラグビーボール型にジャガイモや人参を切るシャトー剥きのような剥き方は、捨てるところが多い。つまり、もったいない。舌の食感をよくするためにスープやソースを漉すことの可否も。そのままで充分ではないか? 真っ白なテーブルクロスに、ナイフやフォークをたくさん並べる必要があるだろうか? 料理は腹を満たすだけのエサではなく、世界各地に長い歴史を経て伝わる文化だと思っている。でも、僕がそれを受ける準備ができていなかった。経済的に貧しく生活レベルが低かったのもその一因である。また、僕が求めていたものは、フランス料理そのものではなく、フランス料理のシェフというステータスだったのかもしれない。
そのうち何をやったらいいのかわからなくなり、僕はコックを辞めてインドを旅した。インドでは毎日カレーを手で食べた。スプーンやフォークなどの食器を使わず、ごはんやチャパティーを右手だけで食べる。ちなみに左手はトイレでお尻を洗う手なので、食事で使うことはタブーだ。だんだん僕は上ばかりを見なくなり、目の前に次々と現れる課題に、背伸びせず、一つひとつ取り
組んでいこうと思うようになった。ここ大原での毎日の生活は、まさにその繰り返しである。
ベニシアも若い頃、周囲の貴族社会を見て生き方に疑問を持ち、インドを貧乏旅行している。彼女の曾祖父の兄のカーゾンは、インド総督兼副王の地位に7年間あり、また、明治初期の日本にも数回来訪している。カーゾンの影響を受けてか、ベニシアもインドや日本に目を向け、足を延ばすことにした。英国貴族の彼女と日本平民の僕は、違うところが星の数ほどある。でも、二人がそれぞれ心に刻んできたものには、共通するものも少なくないようだ。この人生の旅路で、人間のベースと言ったらいいのか、人の虚飾ない心の原点に触れる経験があったのだろう。それが互いに感じられ、この上なく大切にしているから、一緒にいられるのかもしれない。
66歳という年齢のせいか、体力的にベニシアは以前ほど庭仕事ができなくなってきている。
「自分でできることだけをやったらいいのに……」と僕は常々言うのに、彼女は庭仕事の規模を縮小しようとはしない。心が若いのか、目標が高いのか……。昨年からベニシアは400坪の空き地を借りて、ワイルドガーデンをつくるのだと言っている。僕に言わせれば超ワイルド過ぎるただの原野で、僕は一人で草刈りに追われている。上ばかり見ず、大原の柴漬けであっさりとお茶漬けでも食べたらいいのに……。これは彼女の性分なので、僕はおそらく一生草刈りから逃れられまい。それで昨日、新しい草刈り機を買った。甲高い2サイクルのエンジン音が妙に心地よく、僕はちょっと嬉しくなった。
ノリちゃんもベニシアの庭に駆り出される一人だ。大原朝市で花を売っていたフラワーデザイナーの彼女を見かけたのが、ベニシアとノリちゃんの出会いだ。週に2日ほど彼女は我が家の庭の手伝いに来てくれる。いま彼女の住む戸寺町では、交流の場ということでハーブ園がつくられており、ノリちゃんはそこの責任者もやっている。
それだけではない。ある日、近所の路傍に育つキンエノコログサをドライフラワーにしようと彼女は摘んで帰った。乾燥させてリースをつくってみたことがきっかけとなり『四季の野草リース』というリースのレシピ本を今秋出版に向けて動き始めることになった。僕はそのリース本の写真撮影を担当している。これまでベニシアの本で庭や花の撮影ばかりやってきたが、ノリちゃんも花である。そして僕も自分の写真集をつくろうと、カメラを持って、全国の山々を歩いている。その本のテーマは、またしても花である。神様が山や森や湿地などにつくった、自然のお花畑だ。今さら思うが素直に言おう。花は美しい。
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