子どもの成長と庭

仙田さん設計、千葉県「さつき幼稚園」のビオトープ。(

子どもの成長と庭

花を見て季節のうつろいを感じたり、
小さな生き物と出会ったり……。
庭での「あそび」は、子どもの成長に
どんな役割を果たすのでしょう。
子どものあそび環境の研究と、
そのための建築デザインに長年携わってきた、
仙田満さんに聞きました。

文=仙田 満(環境建築家) 写真=著者提供

庭付き一戸建て

最近、韓国の若い建築家が「日本の建築家はうらやましい。戸建住宅の設計ができるから独立しやすい」と言っていた。日本の住宅・住まいの特徴は、世界的にも類をみないほど一戸建てが多いことである。

日本には今、戸建住宅は2745万戸、共同住宅は2201万戸ある。そして、戸建が年間47万戸建てられるのに対し共同住宅は41万戸である。一方、隣国の韓国では戸建と共同住宅の比率が1:2、台湾では1:3ほどだという。

日本では、東京のような大都市でさえ、多くの戸建住宅が建てられる。それは、「庭付き一戸建て」が多くの日本の庶民の究極の目標だからである。

保土ヶ谷の家の庭

私は1941年、太平洋戦争が勃発した日に生まれた。横浜の保土ヶ谷という宿場町である。二軒長屋で、建坪は小さいが、庭が表と裏にあり、全体としての敷地は50坪ぐらいあった。南側と北側に縁側があり、小さな家という感じはまったくなかった。私の住んでいた保土ヶ谷の町では普通の家だったのである。しっかりとした板塀があり、門があり、南側には松があった。この松は少し横に伸びていて、子どもの頃の私はよく登ったり、棒切れをつるしてチャンバラの稽古をしたりしたものだ。

その松と南側の廊下の間には10坪ほどの小さな広場があり、戦争中は父がそこに防空壕をつくっていた。その小さな広場は洗濯物の干し場になるのだが、ふとんが日の光を浴びてふんわりとするときの感触は今も鮮明に思い出される。夏になると、そこは必ず近所の子どもたちの宿題の工作場になった。小学校5年生頃、裏庭でハトを飼っていたが、猫に侵入され、ほとんど死なせてしまった。その悲しさも忘れられない。

家の中での思い出よりも、小さな庭での思い出がたくさんある。そのような思いもあって、庭というのは子ども時代にどのような存在であったかを10年ほど前に大学で院生たちと調査した。

庭の思い出研究

この調査は「想起に基づくこどもの行為からみた住宅外部空間に関する研究」と題するもので、2000年から2001年にかけて20代から50代の男女に庭のスケッチをしてもらい、何が思い出として強く残っているかを聞き取り調査するという方法によって、子ども時代の庭の意味を明らかにしようとしたものである。人数は全体で53名、ほぼ男女半々である。スケッチを描くことによって想起をスムーズに行い、思いつくままに自由に話してもらい、その思い出の中から印象に強く残っているものを五つ選んでもらうという工程を踏んだ。

印象に残る行為では「果物をとって食べる」「鬼あそび」「ペットとあそぶ」の三つが多かったが、「果物をとって食べる」のは住宅外の外部空間ではほとんど見られなかった行為であることからも、庭
での体験の思い出としてきわめて強く残るものであろう。私自身、裏庭にイチジクと柿の木があり、その実を食べたのは楽しい思い出である。食べることはあそびでも重要な行為の一つだ。自然あそびの行為は食べる、動物を飼育する等、味覚や触覚をともなう総合的な感覚と関係するあそびでもある。

庭では兄弟姉妹、父母、友人とあそんだという割合が高いのはある意味で当然だが、一人であそんだ思い出も比較的多いのは注目される。「植物に触れ合える」「動物と触れ合える」「季節感、自然を感じられる」「何をしても怒られない」「時間を気にせずにあそべる」等、その自由性を評価する回答も多かった。住まいの庭は一人でも安心である。自分の気持ちを落ち着かせ、味覚や動植物との触れ合いができるという点で子どもの自立や感性の発達に寄与すると思われる。

井上 寿、太田真未、仙田 満「想起に基づくこどもの行為からみた住宅外部空間に関する研究」(日本建築学会大会学術講演梗概集 2008年8月)をもとに図表作成

体力・運動能力を育む庭

子どもが親しむ庭としては、保育園や幼稚園の園庭もある。近年では庭のない保育園が認定されていたり、無認可の保育園もあったりするが、小さな子どもたちが庭に出て運動することは成長にとって大切なことである。3歳児は1日平均1万3000歩歩く必要があると日本学術会議では指針を出している。子どもの運動不足は将来、肥満や成人病の原因になるといわれている。

体力には巧みさ、粘り強さ、力強さという三つの要素があると放送大学の臼井永男教授は唱えている。巧みさとは体を動かす技術で、脳神経の発達と一致し、10歳頃がピークになるといわれている。近年、保育園、幼稚園の園庭の環境―広さ、植栽状況、遊具、起伏等―と体力・運動能力の関係について臼井教授と行った共同研究では「片足ケンケン跳び」という体力測定において、日常的によくあそんでいる園児とそうでない園児では10倍も距離に差があることが明らかにされている。片足ケンケン跳びは巧みさ、粘り強さ、力強さの三つの複合的・総合的な能力を示していると思われる。

園庭が広く、しかも土地に起伏があり、さまざまな遊具のある園とそうでない園ではそこで毎日過ごす子どもたちの運動能力・体力が大きく異なる。

森に囲まれた十六山保育園。
森に囲まれた十六山保育園。

社会性を育む庭

1990年代にアメリカの作家ロバート・フルガムが書いた『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』は世界的にベストセラーになった。仲良くあそぶこと、けんかをしても仲直りすることは大学や大学院で学ぶことでなく、幼稚園の園庭で学ぶのだと言っているのだが、人間関係学、あるいはコミュニケーション能力の本当の基礎的なところはまさに幼稚園や保育園の園庭で培われると思われる。

群れてあそぶことによって、子どもは人とどうつながれば良いのか、諍うことも、仲良くすることも学ぶ。それは庭でのあそびが自由だからである。自分で決めていかねばならないからである。子どものあそびには発展段階がある。すべり台という遊具では2歳頃にはただ滑ることを学ぶ。3歳頃になるとより早く、よりスリリングに滑ろうとする。さらに4歳頃になるとみんなで〝○○ごっこ〞というようなごっこあそびの舞台としてすべり台を使う。鬼ごっこのような集団あそびがある意味で子どもの究極のあそびなのである。

集団あそびゲームがしやすい庭というのがある。それは鬼ごっこあそびをする空間を考えてみるとよい。程よい広さの広場と周辺に隠れる木や茂み、建物が適切に配置されている必要がある。隠れる場所のない庭は集団あそびゲームがしにくい庭ともいえるだろう。

仙田さん設計の保育園「アートチャイルドケア志木」の砂場。
仙田さん設計の保育園「アートチャイルドケア志木」の砂場。

創造性を育む庭

かつてドイツのフライブルクで幼稚園を見学したときに、各保育室の前にある砂場の造形にとても驚いた。その見学時間は午後で、すでに子どもたちは家に帰ってしまった後だったが、ついさっきまで子どもたちが夢中になって砂で造形あそびをしていたことが、生々しくわかるような本当にすばらしい造形の跡だったのだ。きっとこのようにすばらしい造形を育むのは、その砂場の環境、そして砂自体の良さもあると思われる。

通常、砂場で使われるのは川砂が多いが、造形的にしっかりかたまるのは山砂である。最近よく使用される衛生的に処理された砂、いわゆる抗菌砂というのは造形あそびに適さない。子どもの手の感触に合いやすい、つかみやすい砂が創造性を喚起するのだ。また、砂場には水場も必要である。必ずしも間近でなくても、水を運ぶということもまた子どもの新たな創造的な行動を引き起こすことがある。フライブルクのその園は広くはないが、小山があり、隠れる場所があり、自然・緑豊かで、少し乱雑なところもある園庭だった。子どもたちの創造性が育まれているという感じをもった。

私は子どものあそび空間を六つの原空間に分類していて、その中にアジトスペース、アナーキースペースという空間の重要性を示している。アナーキースペースとは少し混乱したスペースで、工事現場、廃材置場のような空間であり、創造力を刺激する空間と考えている。私が若い頃に設計した野中保育園の園庭もそのような創造力を育む庭をめざした。

フライブルクの幼稚園の砂場の造形。
フライブルクの幼稚園の砂場の造形。

園庭・校庭をもっと
緑の多い空間に

日本の保育園・幼稚園の園庭は往々にして小学校の校庭のようにグラウンドが中心となっている空間が多い。しかし子どもたちの自然体験の機会が減っている現在、園庭・校庭はもっと緑の多い空間にすべきと考える。

木があっても野中保育園のようにその間にマラソンコースをつくることもできる。夏の暑い日差しをさえぎる意味でも、園庭・校庭がもっと木々によって日陰の多い空間であることが大切である。そして実のなる木や、花が咲く木、鳥や虫たちが集まる木等、多様な木々を入れて季節感あふれる庭とすべきである。中央林間にある十六山保育園の敷地は野中保育園のように大きくない(1500平方メートル)が、その庭はクヌギの林になっている。相模原の森の中に保育園がつくられた形式である。

建物も木に囲まれることによって、夏の暑さから守られ、涼風が吹き抜けている。冬には葉が落ちて暖かい日差しに包まれる。起伏があり、水の流れがあり、ツリーハウスがある。子どもにとって庭が居間のような空間になっている。冷房を使用しない保育室にすることは、森の中の保育室にすることによって可能なのだ。保育園、幼稚園の園庭は木で埋め尽くしても良いぐらいである。

野中保育園のマラソンコース。
野中保育園のマラソンコース。

学社融合型の庭をつくろう

学校が地域の人々の学びの拠点になり、地域社会に開かれた形式の小学校として、千葉県習志野市の秋津小学校は有名である。ここでは学校菜園やビオトープ等の園庭空間が秋津コミュニティと呼ばれる地域の人々によって建設運営され、子どもたちが学校の先生だけでなく、地域のおじさん、おばさんとも交流している。

この学校では不登校児童が少ない、自尊感情が高い等、子どもたちの育ちにさまざまな良い影響があることが報告されている。園庭、校庭という空間が地域の多くの大人と子どもたちが交流できる場となることによって、子どもたちの健全な成長が期待できる。この秋津小学校のすばらしいところは、市民菜園さえ園庭と一緒にあることである。この小学校は幼稚園も付属していて、園庭、小学校のグラウンド、秋津コミュニティの作業場、ビオトープ、市民菜園が一緒になっているので、いつも市民の姿が学校の周りに見え、子どもと日常的に触れあっているということである。休みのときには秋津コミュニティ主催のデイキャンプ等が行われている。

学校は次の世代が育つ場である。地域全体で支えていかなくてはならない。子どもにとって校庭が運動体験、交流体験、農業体験、自然体験等、さまざまな学びの場となることを望みたい。

秋津小学校のビオトープ。
秋津小学校のビオトープ。

駐車場でなく緑の広場

日本の集合住宅団地の問題点は駐車場が地上にあったり、立体駐車場になったりしている点だ。

日本では地下駐車場の建設費が1台当たり700万円程度となり、それを販売価格にのせると価格競争力がなくなるため、平面駐車か立体駐車にしている。私は先進国でこのように車が地上面を占領している住宅地は日本以外にないと言っている。本来的には地下駐車場にして、地上部分は子どものための自然体験ができる園地にすべきである。そしてその団地の子どもだけでなく、地域の子どもたちも自由に利用できる、すなわち公園化させるべきである。そうすれば公的な支援がつけられたり、あるいは有利な融資が受けられるようにすべきである。自治体は民間の力を借りて公園化をすすめることができる。

我が国は都市の公園率が国際的に比較すると低い。子どもたちに公的な庭がもっともっと必要だ。そのためにも民間の集合住宅地の駐車場を地下化することによって地上を子どもたちのための庭に変えよう。

水場あそびができるように設計された十六山保育園の園庭。
水場あそびができるように設計された十六山保育園の園庭。

終わりに――庭は人をつくる

昔、私が小さな頃、隣の家の庭に入ることは自由だった。庭はある意味でみんなのものだった。庭で子どもたちは育つ。出会い、発見し、多くのことを学ぶ。そういう意味で公園だけでなく、住宅のまわりの庭、園庭、校庭もみんなのものとしてもっと自然豊かで楽しい空間としてつくられる必要がある。子どもたちにとって庭とは多くの思い出を積み重ね、人として成長する場なのだから。

仙田 満・せんだ・みつる
1941年生。東京工業大学工学部建築学科教授、日本建築学会会長、日本建築家協会会長を歴任。現在、環境デザイン研究所会長、こども環境学会代表理事。代表作品に野中保育園、茨城県自然博物館、兵庫県立但馬ドーム、広島市民球場、国際教養大学図書館等。『子どもとあそび』(岩波書店)、『こどものあそび環境』(鹿島出版会)など著書多数。

チルチンびと 73号掲載

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。

Optionally add an image (JPEG only)