赤ちゃんが五感で感じる木の空間
東京おもちゃ美術館は2008年、東京都新宿区の廃校となった旧四谷第四小学校を活用して開館した。
九州産の檜材を敷き詰めた「おもちゃのもり」や、
杉材で覆われた「赤ちゃん育ひろば」をはじめ、館内にはふんだんにが使われている。
また、おもちゃの多くもでできており、ほとんどは触れて遊ぶことができる。
館内ではボランティアの「おもちゃ学芸員」が、訪れた人と話しながら各部屋を見守っている。
開館して年以上が経つ今も、年間約万人が訪れる人気だ。
この東京おもちゃ美術館の多田千尋館長が、おもちゃ美術館で感じるの力や、
そこで行われるコミュニケーションの重要性、推進する「育」などについて語る。
談=多田千尋(東京おもちゃ美術館・館長) 写真提供=東京おもちゃ美術館
大人にとっても気持ちのいい空間
ーなぜ、この東京おもちゃ美術館に、これほど多くの木を使ったのでしょうか。
この学校の建物は昭和年、住民の寄付金をもとに、ドイツ人の設計で建てられた先進的なもので、住民の誇りや愛着がひときわ大きいです。
中野区からここに移転してきたのは、廃校になったこの小学校を壊したくないという住民の誘致運動があったから。館長を務めていた私自身新宿出身で、今も住んでいるので、ふるさとにミュージアムを移すということに気持ちが入りました。理想的なおもちゃ美術館をつくりたい、数年でつぶれるようなものをつくるわけいかない、今、新宿に必要なものはいったいなんだろうかと考えました。
日本の現状を調べる中でわかったのが、実は日本は先進国第3位の森林大国だということです。1位のフィンランドや2位のスウェーデンでは、週末になると森に行っ別荘を持っていたり、森林大国にふさわしいライフスタイルを築いています。しかし日本人、特に新宿の人で週末に森に行く人はほとんどいないでしょう。また、国産材を使って日本でつくられる木のおもちゃの自給率は1%を切っています。個人の作家は国産の木を使ってつくっていますが、大量供給できるメーカーが使っているのはほとんど外国産材。さまざまな施設のキッズコーナーは、ビニールやプラスチックばかりです。
こうした現状は問題だと思い、その解決に少しでも貢献できるようなおもちゃ美術館のあり方を考えました。そして、内装材は全国から取り寄せた国産材を使うことにしました。象徴的なのは「赤ちゃん木育ひろば」で、全国10カ所の杉を使っています。ここと「おもちゃのもり」の部屋は靴を脱いで入ることにしました。自分の肌で木を直接感じるには、裸足で歩くのがいちばんだと思います。裸足になって歩きたいと思わせるようなフローリングにするため、赤ちゃん木育ひろばの床は無垢の杉で厚さ30ミリとしました。一般的な床材は厚さ12~15ミリです。杉は空気をたくさん含んでいて温かく、やわらかさを感じられます。
ーなぜ、これほど多くの人が訪れているのだと思いますか。
一つの理由は、子どもだけでなく若いパパやママ、さらにおじいちゃんやおばあちゃんにも好感度の高い施設だからだと思います。木が豊かな空間は、若いパパママも気持ちいいし、おじいちゃんおばあちゃんも「やっぱり木はいいよね」と思う。多世代に支持されるのです。キャラクターがなくても、洗練されたデザインの本物で勝負すれば子どもは手応えを感じてくれます。年輪を見るだけで子どもは指でなぞって遊ぶのです。
「赤ちゃん木育ひろば」だけでも、年間3万2000人が訪れています。見ていると、まず赤ちゃんが泣かない。他の子育て支援センターなら泣いている子がごく普通にいますが、本当に泣かないんです。二つ目に、パパの滞在時間が長い。パパは他のセンターだとすぐに帰りたがることが多いのに、ここにいると気持ちがいいのでしょうね。三つ目に、ママがスマートフォンをいじらない。取り出すのは写真を撮るためです。木のある風景は写真を撮りたくなるんですね。ここで埼玉大学教育学部の浅田茂裕教
授と調査をしたときにも、子どもには「表情の明るさ・活発さ」「積極的な行動」といった変化が、母親には「気分転換・癒し」
「子育てからの解放感」といった気持ちの変化が見られました(*浅田茂裕「子育て世代の支援施設としての『赤ちゃん木育ひろば』の機能と役割に関する調査報告書」(2013年))。また、おもちゃになっても木は生きています。含まれている水分量は、夏と冬ではまったく違う。子どもたちは生命力のあるおもちゃと触れ合うことになるのです。
木の空間だけでは足りない
ー木に触れて育つ子とそうでない子は、どんなところが違ってくるのでしょうか。
私は、環境だけがその子の人生を左右するということは、絶対にありえないと思っています。家に関しても、木の家に住むかどうかは決定的なことにはなりません。ただ、家づくりを安直に考えているような両親の元で育つのと、木の家にこだわりたいというフィロソフィーを持つ両親の元で育つのとでは、違うと思います。
私はよく「三つの間」という話をしています。一つ目は「空間」。たとえば木の家という空間をつくるということです。二つ目は「時間」。そこで親子がどのような時間を過ごしているか。三つ目は「仲間」。木の家を建てる家族には、そういう価値観を共有できる人が集まってくる。仲間の会話が交わされているところで子どもが遊んでいると、大きく影響を受けます。これらの総合力で子どもは育つ。木の家を建てさえすれば安心ということはありえないのです。
三つの間ができあがると、天からのご褒美で四つ目の間「世間」が降ってきて、ご近所付き合いが始まります。そこまでが十分できあがると、その子に初めて五つ目の間が完成します。それは「人間」、感性豊かな人間になるのです。おもちゃ美術館は、この五つ目の間をめざしています。
木のおもちゃで遊ぶことが、子どもの成長にとってどれだけの効果を生むのかと聞かれることもありますが、「それだけでは無理ですよ」と答えています。木のおもちゃ自体は大して重要ではなく、せいぜい3割の責任で、残りの7割は人間の責任なのです。
おもちゃ美術館には、資格認定を受けたおもちゃ学芸員が1日平均15人在館しています。この学芸員が来館者とさまざまな対話をする、それがとても重要です。私は、おもちゃ美術館は「コミュニケーションミュージアム」だと言っています。
ストレス社会に足りないのは「木」
ー多田さんは「木育」の推進にも取り組んでいます。改めて、木育とはどのようなことなのでしょうか。
簡単にいうと、木の力を借りて、木に寄り添って子どもからお年寄りまでが豊かな暮らしを展開する。木の力を借りて人生を豊かにしていく、ということだと思っています。
開館して半年ほどした頃、館内にスーツ姿の人が目立ち始めました。聞いてみると、林野庁木材利用課の方でした。こんなに国
産材を使った施設に若い人がたくさん来ていることに喜んでいて、なかなか浸透しない「木育」を一緒にやってくれないかとお願いされました。
現代社会はストレスが溜まりやすく、自殺者は減らない。私は、五感で木を感じることが不足しているのではないかと思います。赤ちゃんのときから木をかじって、触って、においをかいで、木が暮らしに入ってこないとだめなんです。私は、木育はストレス社会の世の中を元に戻す力があるのではないかと感じています。林野庁ではそこまでは言っていないのですが。
老人ホームの内装を木質化したところ、入居者である認知症の高齢者が激変したという例があります。木質化した一画に集まって、隣の人と話をするようになり、夜に徘徊する人も減った。面白いことですよね。
科学的には立証されていませんが、木をたくさん使うほど、お年寄りにとって「施設」よりも「住まい」に近くなり、心が安定してくるのではないかと思っています。
高層マンションにも森の恵みを
ー全国のさまざまな市町村とともに木育推進の活動を進めていますが、どんな狙いがあるのですか。
着実に活動を広めるためには、市町村と組むといいのではないかと思いました。全国の市町村には、山があっても木はまったく活用されていないところが多いです。また、自然豊かなところだからと言って、自然豊かな感性が育まれているかというと大違い。沖縄も東京も、子どもの遊びの文化はほとんど一緒です。
「ウッドスタート宣言」をした市町村では、積み木など地元の木でつくった誕生祝いの品を配っています。それによって地域のママが山の木のことを意識し、森の恵みを活用して子どもを育てるのは大切だと思い始めます。
また、新しく建てる校舎を木造にしたり、内装を木質化した地域もあります。ある調査では、木造校舎にすると子どもたちの情緒が安定してきた、インフルエンザの罹患率が激減したという結果が出ています。木の香りに包まれ、木が空気を浄化してくれた効果ではないでしょうか。
最近では、おもちゃ美術館とおもちゃ職人などが連携しておもちゃブランド「KItoTEto」をつくり、参画する職人の仕事ぶりを見られる動画も作成することで、「森の恵みが我が家にやってきた」と感じられるようにしています。また「東京ツリーウッド」というブランドでは、東京都檜原村の林業会社とおもちゃ美術館が組み、切っても使われない木でおもちゃをつくることにより木の価値、森の資産価値を上げる取り組みをしています。
森の恵みをどう里に下ろすか、どうしたら幼稚園や保育園、高層マンションに住むようなママやパパがそれを取り入れたいと思うのかというところを考えて「仲人」をするのも、東京おもちゃ美術館の役目です。それが日本の森を活性化し、山と向き合って仕事をする人たちを潤すことにもなると思っています。
東京おもちゃ美術館・館長
多田千尋さん
東京都出身。明治大学卒業後、ロシア・プーシキン大学に留学し、幼児教育、児童文化を学ぶ。認定NPO法人芸術と遊び創造協会理事長、認定NPO法人芸術と遊び創造協会理事長、高齢者アクティビティ開発センター代表、早稲田大学非常勤講師等も務める。著書に『0〜3歳 木育おもちゃで安心子育て』『遊びが育てる世代間交流』(ともに黎明書房)など多数。
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