民家の再生と創造-古材・古民家の美 民家再生の意義
民家の再生と創造-古材・古民家の美
民家再生の意義
『チルチンびと「古民家」の会』設立にあたり、
40年以上前から民家再生に携わってきた木下龍一氏が、
今、民家を再生する意義について論じる。
文・写真(特記なきもの)=木下龍一
民家との出会い
私が民家再生の最初の体験をしたのは、1975年、今から約44年前である。
国道改修のため潰される運命にあった、福井山中の民家を訪れ、雪を被った茅葺きおろしの玄関か「ニハ」に足を踏み入れた瞬間、ほの暗い中に浮かびあがった柱や梁の架構と、煤竹天井から吊り降ろされた天火の下に、囲炉裏がすわる様に全身ゾクッとする感動を覚えた。それを機会にこの民家を解体し、京都西山山麓に移築した。以来そこに移住し、建築設計事務所の仕事を続けている。
民家再生の仕事には、移築と現地再生、さらに一部古材を再用する部分再生の3種類の方法がある。1980~90年代は民家再生という建築行為が全国に拡がり、バブル経済の進行とリゾート開発等の波にもまれながら、建築雑誌や婦人誌等でも記事として扱われるようになった。
町家再生
私は建築家としては、10軒に1軒は民家再生を実践しようと呼びかけながらだんだんそれが逆転して、今では民家再生9軒に対し、現代建築1軒の割合になった。何故なら京都に居を移してから、1992年に京町家再生運動に参加し、町家悉皆調査や再生提案の活動が拡大したからである。町家は都市域にある庶民住宅、つまり町民の民家であるが、バブル期前後の開発投資で、文化遺産として保存されるべき京町家も風前の灯であった。危機意識を持った我々は、行政、市民社会、建築研究者及び文化人と全方位的に京町家再生の重要さを訴えた。27年の時を経てようやく、「京都市京町家の保全と継承の為の条例」が制定されるに至った。
民家の成り立ち
日本の民家には、農山村や漁村等、立地と生業により多様な間取りや形態が存続している。長年数多くの地方や様々な地域の生産民家を興味深く調査していると、その全てに共通している日本人の「すまい」の思想、つまり上古、古代、中世、近世、近代の時代を通じて培われたわが国固有の観念の存在に気付かされた。それは言葉にして言えば、「イヘ」と「ニハ」の二つの観念であり、民家(あるいは庶民の町家)はこれらによって構成されている。
「イヘ」と「ニハ」の思想
「イヘ」とは、イは発語であり、ヘは戸であり、竃(へっつい・かまど)の意である。1軒の住まいには、一つの竃があり、入口と竈の間や、その周りに作業場や寝所が配置される。竃は住居を、おそらくはその家族生活を象徴するのであろう。しかし又、へ― 瓮を容器とする解釈もある。即ちこの場合、「イヘ」とは住むための容器であり、住むの語幹のスとは巣に他ならぬから、住居とは要するに巣として機能する場所である。(※註1)
一方「ニハ」は、上古より神を迎えて祀るところをいう。のち人々の作業場をもいう。(※註2)その指示する領域は広く、神とされる山や海、あるいは、家の前の清められた場所を指し、神事や儀式を行うところを意味した。さらに家の内部の入口から竃の前の清められたところも延長して示し、ウチニハという。上古の時代、竪穴住居では、「イへ」の内部の土を掘り、土砂と石灰を混ぜ、海水で清め叩いて「ニハ」とした。そこを家人の仕事場として、ウチニハと呼び、ウチニハは表の「ニハ」や、田畑、遠い狩猟場にまで連続する観念でもある。「ニワ」の呼称は、民家の内外や町家のトオリニハとして今も生き続けている。さらに神社の森や都城の大小路を「ニハ」の延長として、人々は日常そのところを清浄に保つべく、水撒きやかど掃きの習慣を続けている。
註1『家と庭の風景』増田友也 1999年 ナカニシヤ出版 註2『字訓』白川静 1995年 平凡社
大工術の進化
こうして「イヘ」と「ニハ」から成る民家は、中世には床を張った居室を設け、広い「ニハ」と陰陽対比させながら発展する。農家では、「ニハ」は「ウチニハ」「ダイドコロ」「カッテンバ」が面的に分節され、町家では、「ミセニハ」「ダイドコロニハ」「ハシリニハ」が線状に分節されていく。そして、「イヘ」の床座と「ニハ」の境界に木挽や大工が競って美しい梁を架けた。人々は「準棟纂冪」のことばでほめたたえた。こうした大工術の進化の背景には、大陸から移入された標準尺方格線の規矩を学びながら、日本古来の信仰に裏打ちされた自然観、左右非相称の規矩が、庶民大衆の中から登場し、地震や火事と戦いながら、進化していったと考えられる。室町末戦国期の下剋上時代の平等思想、山川草木悉皆仏性の浄土や禅宗思想に基づく、茶、花、歌踊等民衆独自の芸術、文化の創造は、地域の農業生産や商工業の発展に支えられながら、多様な民家普請を全国に展開した。
民家再生の意義
何のために民家再生を行うのか。それは対象の民家の中に現代的価値を感じ、創造の契機とすることである。そして前述の「イへ」と「ニワ」の思想から学ぶものとして、現代住居の便利で完結的なプログラムをもう一度民家の対位法的ダイナミズムの場へ引きもどし、批判・再考することが可能となる。
加えて、歴史的住居の思想に現れた風土が育んだ自然素材への敬意と感謝の心は、現代人にとっては取り戻すべき重要な精神ではないだろうか。民家に用いられた木の架構術や土壁工法は文化遺産を保全するオーセンティックな工法として、持続的に再生産をしてゆかねばならないと考える。
そしてその行為は、現代社会の大量廃棄物の発生を食い止め、モノの命の循環と持続を大切にしたコミュニティの復活と、風景の蘚生につながるのではないだろうか。
木下龍一(きのした・りょういち)
1969年京都大学工学部建築学科卒業。1970年修士課程在学中にベルギー・サンリュック建築大学留学、帰国後レフォール架構計画研究所を経て、1977年一級建築士事務所アトリエRYO開設。一般社団法人京町家作事組 前代表理事、NPO法人京町家再生研究会理事。
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