冬の菓子

能登に住み始めた頃、暗くて長い北陸の冬が苦手だった。来る日も来る日も太陽は鉛色の雲の向こうから顔を見せず、古民家の隙間だらけの家は寒さも厳しい。たまに実家に帰るときに飛行機で羽田空港のタラップを降りると眩しくて、「ハワイに来たんじゃないか?」と思うくらい。春を待ち詫び、冬はどうにかやり過ごすだけの季節でしかなかった。

そんなある日、隣のばあちゃんが新聞紙の包みを持ってやってきた。開けてみるとコロコロとした色とりどりの乾いたお餅が入っていた。「これけ、かき餅や。油で揚げるか、電子レンジでチンしておやつに食べさし。」

お餅といえば暮れにお正月用に搗くものと思っていたけれど1月中頃にも作ると言う。「寒に搗いた餅を、寒の水の中においたらずーっとそのままにおるよ。」どうやら一年で一番寒い時期の寒の水は雑菌も少なく長期保存に向いていると伝えられている。その時期に仕込んだ味噌や醤油、酒などは腐りにくいと聞いたことがある。それだけでなく、清らかな水を含めば寿命も伸びる「ありがたい水」らしい。

けれども水の良し悪しだけでこの時期にかき餅を作るわけではない。雪に埋もれたこの時期に、しっとり湿度がある中で、ゆっくりと乾かすことがポイントだと言う。ストーブをつけた暖かい部屋で干すと一気に乾燥が進み割れてしまう。人気の無いお座敷などに広げて干す。だから関東のように冬でも晴天でドライなところではかき餅はうまくできない。湿った空気が山に当たって、雪を降らせる日本海側特有の冬に作るおやつなのだ。

「よう干せてるけど、梅雨明けにまたお日さんに当てて、缶カンに入れといたらいつまででも保つしね。」とばあちゃん。保存料や添加物なしでいつでも、おやつが食べられる知恵はすごいこと。

もうひとつ、冬の輪島名物に水羊羹がある。輪島塗の塗師屋さんなどが軒を連ねる、鳳至町には良澤本店さん、杉平菓子店さんなどの和菓子屋さんで冬の期間限定で販売されている。平たい容器に直に流した水羊羹は細長く切るのがお約束。滑らかで甘すぎず、つるんと喉越しが良いので幾つでも食べられる。みなさん贔屓の店の味があって、「あんこの濃い目のがいい」とか「塩味が好き」とか水羊羹談義に事欠かない。水羊羹といえば普通は夏の涼菓をイメージするけれど、輪島や福井では「こたつにみかん」と同じような感覚で、寒い冬に暖かな「こたつで水羊羹」を楽しむ風習がある。

一体なぜそうなったかと言うと、「貴重な新物の小豆が美味しい時に家族みんなで食べられるように、餡を薄めて固める水羊羹の形になった」と言う説を聞いたことがある。10年くらい前、奥能登の農耕儀礼あえのことで田の神様に御馳走を用意する時、集落のばあちゃんが輪島塗の八隅膳に直に水羊羹を流し固めていたのを見て、その豪快さに肝を抜かれた。直会で切り分け配る姿に出会い、なるほどと思った。元々は店で買うものでなく、こうして家々で作り継がれた冬の味だったのだろう。

昔は精製された寒天ではなく、輪島の海で採れた天草という海藻で作られたのでは無いだろうか。だとしたら夏に浜に上がった天草を天日に当てて晒し、ゴミや砂などを除いたものだろう。小豆も田んぼの畔で育てたものを刈り取り、打って脱粒し、虫食いなど選ってようやく、外仕事のできない雪降る中、家族みんなで「おいしいね。」と言い合う、慎ましいけれど豊かな情景が浮かんでくる。

最近は能登の水羊羹は人気なのかスーパーの和菓子コーナーには一年中売られている。輪島の北川製餡所さんも冬でない時も水羊羹を作られている。工場併設の店先の天井には古い水羊羹の木の折箱が置かれていた。「本当に冬にみんな食べているのか」気になっておかみさんに聞いてみると「そりゃあ、断然冬に売れますよ!」ときっぱり。

私も冬に水羊羹を作るようになった。胴鍋でゆっくりに溶かした寒天に、自家栽培の小豆のこし餡を入れて滑らかに混ぜていく。

荒熱をとったら漆の箱に水羊羹を注ぎ入れる。せっかくなら輪島名物なので輪島塗の木の折に流し固めたい。そう思って吉田漆器工房さんに四角いお弁当箱を拭き漆で仕上げていただいた。屋号も入ってなんだか見た目だけ老舗のようだ。

寒い加工場でホワンと湯気をあげながら静かに表面から固まってゆく様子に見入ってしまう。黒い箱に小豆色の水羊羹が四角く固まっている姿は、素朴だけれどなんとも美しいものだと思う。大袈裟だけれど「日本人でよかった。」と毎回思う。

「つるん、ぷるん」と一切れ食べてハッとした。「水の味がする。」水羊羹をなぜ冬に作るのか解った気がした。裏山の山清水が木々の間を流れ、雪の間をほとばしる寒の水。新小豆の味や香りはもちろん大切だけれど、「水羊羹は水の味を味わうものだ。」と感じた。それを見知ってしまった今、夏の生温い水で固めて冷やした水羊羹など本筋ではない気さえしてきた。


冷たい水と湿った雪もなかなか好い。冬には冬の菓子がある。