薪小屋のトタン屋根にポトリポトリと音が聞こえるようになって秋を知る。今年は栗が豊作だった。栗と言っても栽培ものの立派なのでなくて山に自生する野生の小さな栗。集落の人はしば栗と呼び、「昔は家族みんなで一斗缶ほど拾った。茹でて糸に通して干した「かち栗」を首にかけ報恩講でおやつに食べるのが楽しみだった。」という。
うちの娘が小学生の頃、「通学路の道に落ちているしば栗を拾っておいて授業中にこっそり食べる。」と聞いて都会育ちの私は「生で!?」と驚いたけれど、真似してみたらフレッシュな栗の香とほのかな甘みにハッとさせられた。Raw foodという生食が都会で流行しているらしいけれど、能登には縄文人の暮らしぶりがかすかに残っているのかもしれない。以来蒸しようかんを作ったり、動物のたべものと思っていたしば栗は私にとって大事な和菓子の材料の一つになった。
コロナ生活になってジムに通えなくなった夫は裏山の周りを走り始めた。裏山を運動場としか思っていない彼に「山にはね、食べられるものや使えるものが沢山あるの。でも熟す採取時期やとりやすい場所など利用するにも知恵が必要なの。走りながらそういうものにも目を向けて」と投げかけてみる。するとせっせとリスのような栗拾いが日課となった。運動後自分の体重を計った後は、かごいっぱいの栗をスケールで測定して自己満足に浸っている。しめしめハマったようだ。
しば栗は洗ってマイナス1度の穀物保管庫に40日ほど熟成させると、糖度や旨味がアップする。(栗は自分が凍結して死んでしまわないようにと糖度を上げる。)イガから落ちたばかりで拾うからか、無農薬なのに虫にほとんどかじられていない。そのまま置いておけばイノシシの餌になるから、菓子として利用するのも里山にとっても悪くないだろう。
暖簾をくぐってcaféにこられたお客様。杖をついた80歳代くらいのお婆さんと50歳代の娘さん、お孫さんの20歳代の青年。ご予約の「しば栗パフェ」をお出しする。本当は「glass入りの和菓子」と思っているのだけれど一言でパフェという方が伝わりやすいので渋々、そう言ってしまっている。お婆さんがグラスを眺めながら「これ大変だったでしょう?子供の頃皮むきが辛くて、でもそのしば栗ご飯の美味しいことと言ったら!忘れられない。そういうね、味を孫にも伝えたいと思ってね、昨日むかごのご飯を作ったんですけどね、なんか今ひとつだったみたいでね…」と残念そうなお顔。
確かに「思い出の味」とか「おふくろの味」とかいう類のものはそれにまつわる実体験も味のうちだったりする。原材料の育つ場所、調理の仕方、お手伝いや一緒にいた人など、食べる事の背景となる一切合切をどれだけ想像し、共感できるかで「おいしい」度合いも違ってくると思っている。だからこそ「三世代でパフェを食べる」という普段はありえないようなこの席にお伝えしたいことがある。
一番上にのっているのは、しば栗の渋皮煮です。野生の栗なのでとても小さく、剥くとなくなってしまうので渋皮を残してシロップ煮にします。甘みと旨みが独特です。
その下の淡い黄色いところはしば栗のきんとんです。茹でると風味を損なうので蒸しています。半割にして中身をかき出し和三盆と生クリームをほんの少し合わせて裏ごしてから、きんとん篩(ふるい)を通してそぼろ状にしました。
その下の茶色い層は渋皮煮のシロップのジュレです。しば栗の渋皮は栽培ものの栗より渋みが少なく、コクがあります。
次のほんのりピンク色の部分は渋皮煮で崩れてしまった栗をペーストにして加えたもっちりとした葛プリンです。ミルクと渋で可愛い色になりました。
一番下は白小豆のこし餡です。一般の白あんはインゲン豆で作られることが多いですが自家無農薬栽培のものです。高級食材と言われる白小豆ですが、うちではインゲンの方がカメムシの被害が大きくて…パフェの最後まで美味しい締めくくりで。
グラス1個に大体25~30個のしば栗を使っています。食べられない鬼皮など廃棄率は35パーセントもあります。週末30個作るのには大体1000粒は使います。イノシシ並でしょ。手間暇がかかります。なので途中で「売るのはやめて全部で自分で食べてしまいたい…」という誘惑に負けそうになります。それでも「山の栗の味をお伝えしたい」とどうにか今週もこしらえました。
グラスの下に敷いてあるのは栗の葉です。少し色づき秋も深まってきました。しば栗を丸ごと使いきったパフェ、どうぞお楽しみください。
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