「山水に山椒魚がおるけ? ならええ水や!」今から15年前アメリカから能登へ移住してきた仮住まいの飲み水を保健所の検査に出すかどうかという悩みは、この長老の一言で片付けられてしまった。まだ集落に上水道はなく家の裏の湧き水には落ち葉や山椒魚やヨコノミと呼ばれるちっちゃいエビみたいなのが泳いでいた。「お茶もご飯も美味しいし煮炊きは山水がいい。ここよりもっと下流でとって消毒した水なんて臭くて飲めん。」と聞いて恐る恐る口に含むと甘みのあるカドのない味がした。
小さな泉から湧いた水はビニールパイプで家に引き込まれ、土間の隅に土中に埋められた「水舟」と呼ばれる四角いモルタルの水槽に溜まる。オーバーフローは家の裏に流れていく。一段高い台所へはポンプであげないと洗い物はできないので、しばらく時代劇みたいにすのこの上で茶碗を洗いカゴにあげていた。浄化槽もなくて洗剤で泡だらけの水は家の裏でそのまま土に染み込んでいくのを見て後ろめたい気持ちになった。目の当たりにして初めて、環境に優しいとは何かを考え合成洗剤から生分解性の高い洗剤に切り替えた。水舟に水が落ちる音がしていると「これでお風呂に入れる」と安心だったり、洗濯機も二層式にしてすすぎの回数を調整して無駄にしないようにした。
上水道の無い集落では都会みたいにどこでも家を建てられるわけではない。暮らしのためには水が必要で、水の出そうな山を背に家は建つ。谷ごとに湧き水を分け合える数だけ家が集まり班となる。冠婚葬祭などの助け合いをする共同体だ。それが幾つか寄り合い集落となる。蛇口から出て来る水道水しか知らなかった私にとって水との新たな関わりが始まった。
夏でも枯れん水というのが集落に幾つかあるけれど、私たちが家を建てたまるやまの近くの「大田の高の水」はずっと昔から飲んできた水と特別みんなに親しまれている。毎日集落の人が田畑や山仕事の行き帰りに寄って一服する光景がある。
引っ越してすぐの頃は「上で車洗うなよ。」とか「オーバーフローは戻してや。」などと言われて心外に思ったこともあったけれど、それだけ「みんなが大切に守り伝えてきた水なのだ。」と今は分かる。上水道が敷設された今も我が家も山水を分けてもらって暮らしている。
東日本大震災の後、日本中が深い悲しみに包まれて、原発の恐ろしさに打ちのめされた。私もみぞおちの辺りが重苦しくて何かしなければと思った時に、なぜだか我が家の裏山の水源が気になって、根雪残る山道を娘二人を連れてたどって行った。森は静かにそして厳かで、でも苔や鳥や様々な生き物たちの息づかいを確実に感じた。雪解け水は落ち葉の下に浸み込み、見えない水脈が一筋の流れとなる。倒木をくぐって小さな滝となり、家に注ぎ込んで、それで私たちは生かされている。生き物にとっても、人にとっても命の水なのだとわかった時に少しだけ励まされたような気がしたのだった。
青いカケスの羽、コロコロとしたノウサギの糞、集落の人がネソと呼ぶマルバマンサクの花。
一年で最も寒い寒の水は腐らず体に良いと言って集落のばあちゃんたちは餅を作ったり、かき餅にする。こし餡を晒しても本当にあっさりといい風味に仕上がる。一方、夏の暑い時期は生水は飲まずに沸かして飲む。人々に昔から名水と親しまれているところでも大腸菌などが少し検出される時期があり、そうすると飲料用に適さない。安全のため中空糸を使ったフィルターで不純物などをろ過して使うことにした。
早速水を飲み比べてみると水道水はカルキの臭いですぐにわかる。山水は従来から美味しい水だけれど、ろ過した水はそれからさらに雑味がなくなってまろやかだった。試しに餡を炊いてみると差は歴然と現れた。小豆の皮が早く柔らかくなり、色も心なしか明るめだ。小豆本来の香りとコクが出て、味は瑞々しく仕上がった。まるで眼科で検眼用のメガネにレンズを一枚差し替えると急にすっきり視界が開けたような感覚。正直ここまで水の質が味に影響するとは思わなかった。この谷の水で餡を炊く。シンプルだけどとても贅沢なこと。
11月ののがし 菓銘 蓮根羹