型にハマる。

20年程前、外国人の友達に誘われて時々東京の骨董市に出かけた。彼女たちは古い帯をテーブルセンターに、茶箱をコーヒーテーブルにと、日本の古いものを暮らしに取り入れて楽しむのが上手だった。“Yuki , Look at these cake molds! soooo cute !! ”と呼ばれて見ると細かく彫刻された鯛や菊の花の和菓子の木型。ふと当時取り組んでいた紙漉きの原料を流してかたどることを思いついた。オーナメントとして大使館のクリスマスツリーを飾ったこともあったけれど、その後の引っ越しなどでしばらくその存在を忘れていた。

松やキュウリ、たけのこなどの型にジーンズを砕いた青いパルプを流したもの。
松やキュウリ、たけのこなどの型にジーンズを砕いた青いパルプを流したもの。

最近になって「和菓子の木型で和菓子を作る」ことに今更気がついて、あれこれ出してみる。でも使おうにも使い方がわからない。洋菓子ならばシフォンケーキ型、マフィン型、クッキーカッターと何となくわかるけれど。「これは何の生地をどれくらい入れたのか?」「どのようなシーンで使われた菓子だったのか?」と試行錯誤が始まった。

花鳥風月、日本の自然や季節を凝縮した美しい木型の数々。
花鳥風月、日本の自然や季節を凝縮した美しい木型の数々。

集めたものの多くは落雁の型。大ぶりでお盆のお供えの蓮や夏野菜などは食べるというより飾り物だ。上白糖と寒梅粉に湿りと呼ばれる水飴をすり合わせた生地を木型に詰めて打ち出す。

我が家の「奥能登の農耕儀礼あえのこと」用の大根が畑になかったので、「確か木型があったはず」と探したらちょうど双大根の型だった。

 
和三盆に少量の水を加え粉糖、粉類(片栗粉やそば粉、きな粉など)を擦り混ぜかたどるのは、茶席でいただく上品な干菓子になる。キメも細かく口入れるとスーッと溶けていく。

小粒でいくつもモチーフが彫られていて量産できるもの。時計回りに舟と網とイカ、桜、富士山、蓮弁、鯛、繭、土筆。
小粒でいくつもモチーフが彫られていて量産できるもの。時計回りに舟と網とイカ、桜、富士山、蓮弁、鯛、繭、土筆。
タイル状に割目が入っている一枚板状のものもある。
タイル状に割目が入っている一枚板状のものもある。
秋田の諸越(もろこし)の蕗の型は小豆の粉で作るらしいがこれは蕎麦粉。図柄が素朴でおおらか。
秋田の諸越(もろこし)の蕗の型は小豆の粉で作るらしいがこれは蕎麦粉。図柄が素朴でおおらか。

謎の筋が付いているのはなんだろうと調べたら金沢では雛菓子でおなじみの金華糖の型だった。二つ合わせた型を縛り水に浸してから溶かした飴の生地を流し込む時に空気が抜ける溝がある。余分な生地を流し出して空洞の飴の菓子ができ、後から彩色する。

マサカリの形の型で試すも…まだまだ熟練を要しそう。

 
板の厚みに収まらないような高さのあるデザインには、底板と側面を左右二枚に割った3D型のものもある。平面的な型だと凹凸で抜けないものも作れるのでより複雑な表現ができる。

茅葺き民家の型を使って桃山を作る。たくさん並ぶと里山集落のよう。でもヨーロッパのお家みたいにも見える。

 
練り切りにワンポイントで模様をつけるような押し棒や、面で軽く押しつけ連続模様を写し取る板などもある。

押し棒の表裏が松笠と松葉、鶴の頭と亀甲などストーリーがあって面白い。

 
生地を詰めてパカンっと打ち出す時のわくわく感は子どもの頃の砂場遊びと同じ。ショコラが「洗練された芸術」だとしたら、落雁は手のひらの上の「甘く儚い工芸」と言ったところか。花びらや、鳥の羽、貝殻などを指先ほどの世界に彫刻するだけでもすごいことだけれど、型だからそれを反転して考えるとなると想像を超えている。粋な型、福々しい型それぞれに雰囲気を持ちながら、人に寄り添う柔らかさがあるのは木型ならでは。口に含んだ生落雁の厚みや溶け具合に感心しながら、「あぁ、日本のどこのお菓子屋さんだったんだろう?」とか「師匠に習う弟子の姿」を妄想してみたり、はたまた「型がまだ山に生えた木だった景色」に遡ってみたり。

画像10

昔はお店ごとに型があって、季節になるとそれぞれの看板菓子として並んだのだろう。他の店の型を使うことなど伝統の和菓子職人にはタブーなのかもしれないけれど、せっかくだから生かしたい。木型の彫師は今では日本でも数えるほどしかいなくなったと聞くのでなおさら。そして、いつの日かオリジナルの型をオーダーすることを夢見て。

 
 

3月ののがし 菓銘 春がさね 押しもの

土の中から顔を出す蕗の薹の香りを生〆に。
土の中から顔を出す蕗の薹の香りを生〆に。

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