この谷の暦を探して

 大寒の頃、能登三井はまだ雪で真っ白。グッと冷え込むと、積もった雪の表面が凍りつき、足が沈まずにどこまでも歩いていける。夏には水が張られた田んぼも、今だけ縦横無尽に進んでいける。鉛色の空から心なしか降る日差しに、長かった冬の終わりを感じ取る。
 
 6月にカフェをオープンして以来、二週おきに作るものを考えて、仕込み一週間でまた次の週というサイクル。あれこれ思いつくまま作ってきたけれど、「なんだかこのまま新しい年に突入していいのか?」と立ち止まる。

のがし研究所

 茶道で使われる菓子には年間を通じて季節の上生菓子や干菓子など決まりごとがある。日常の暮らしの中でも年中行事に食べられる柏餅やおはぎなどもある。もっと庶民的などら焼きやあんみつといったおやつもあれば、神社仏閣のお供えのような菓子もある。本来、上生菓子屋さん、餅屋さん、干菓子のお店、と異業種。その中には京菓子が一番格が高くて、駄菓子的なものは格が低いという「和菓子のカースト制」みたいなのがあって、間には超えてはいけない見えない線がありそう。だからと言って格の低い菓子が劣るかというとそんなことはない。それぞれに伝統や技術の賜物で簡単にできるものなどない職人さんの技が光るものばかり。

 そもそもカースト制の最下層にも辿り着けていない私が「美味しい」、「かわいい」、「作りたい」と怖いもの知らずに和菓子の世界の「身分を超えて」行き来した。練り切りや落雁を打ったり金華糖を作ったり…。縛られるものがないだけに自由だけれど、自分なりのルールを見失っているような気もする。

 これから何をしていきたいのか考えるために、この一年を振り返ると、していたのはざっくり二つのこと。ひとつは在来小豆・能登大納言・白小豆・ヤブツルアズキという小豆類、在来青大豆・黒千石という大豆類、在来赤豌豆など豆を蒔いて育てる、又は野生のものを収穫し調整し、煮て菓子にすること。


 ふたつめは自生する植物に目を向けること。味や香りなど風味付け、食感、色や形という意匠、菓子を葉で包む、菓銘という言葉の響きなど様々な要素を菓子に取り入れること。


 豆の栽培も植物も共通するのは時間軸に左右されるところ。旬という「いま、ここ」でしかないモノゴトの連続。それは、一本の線上に始まりと終わりがあるタイムラインでもなく、もっとぐるぐる巡るイメージ。そして豆の植わっている田んぼの畔や林縁の蔓など空間とセットになっている。それは京菓子の季節感とも俳句の歳時記の本の中の移り変わりとも違う。この谷の時間と空間から生まれるものを整理できないかと悶々とした。

 ふと昔どこかで見た和漢三才図会を思い出した。江戸時代中期に寺島良安により編纂された日本の百科事典の中に二十四節気七十二侯の図というものがあった。今でいうカレンダーの円形バージョンのような図。

国立国会図書館デジタルコレクション "和漢三才図会. 巻之1-20" コマ番号53より抜粋
国立国会図書館デジタルコレクション
和漢三才図会. 巻之1-20” コマ番号53より抜粋

 眺めていたら「の菓子の暦」が重ねられそうな気がしてきた。そこで二十四節気や現代の大まかな日付に照らし合わせて、小豆の栽培暦、活用している植物や作った菓子の暦を七十二侯の代わりに落として図にしてみた。

【の菓子こよみの見方】 中心から春夏秋冬、二十四節気、集落内で活用できる自生する植物、豆栽培に関わる農作業や習俗、その時期作る旬の菓子。季節の移ろいと共に巡る菓子の時間を表す。
【の菓子こよみの見方】 中心から春夏秋冬、二十四節気、集落内で活用できる自生する植物、豆栽培に関わる農作業や習俗、その時期作る旬の菓子。季節の移ろいと共に巡る菓子の時間を表す。

 言葉ではうまく説明できないけれど、この図の中心とまるやまの中心が重なって巡る季節に身を任せていればなんとかなる気がしてきた。菓子の背景としての「来し方」からcaféに足を運び食べてくださる「行く末」までまるっとつながる菓子。しきたりや格を超えた先に、共感したくなるような菓子を生み出すことができたなら。

 とりあえずここ2~3年に形になった菓子を順番に並べて冊子にしてまとめておこうと思う。「〇〇を採りに行く」、「豆を蒔く」と確認したり、暦の空白部分を発掘する楽しみもある。お客様にとっては「の菓子の見本帳」としてこの谷の季節感を感じていただけるものになりますように。

 今日は節分、明日から新しい春が来る。

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