あぜ豆からはじめる

 「うちのおはぎの方が美味しい!とか『あんこの基準』がないんですよ。今の子供達には。家庭であんこを炊かなくなったからね」。東京、茗荷谷にある※一幸庵の水上力さんは和菓子離れを憂えた。七十二候という移りゆく季節観を和菓子で表現した本が海外でも高い評価を得られた和菓子職人の言葉だ。子供の頃、たしかに焼きたてのケーキの香りは思い出せてもうちの母があんこを作っている情景は浮かばなかった。都会の核家族のキッチンで小豆を茹でる匂いも、おばあちゃんのおはぎも知らずに育った世代が親になっている。

 十五年前、当時アメリカの東海岸に暮らしていた私たち一家は、能登半島のはずれの山あいの集落への移住をした。裏山から湧く水が田んぼに流れ込み稲を育み、畔には小豆が植えられている風景を初めて見た。冠婚葬祭には、米と小豆と山清水で赤飯を蒸し、餡を炊き餅を作る。生まれてから死ぬまで、嬉しい時は感謝し、悲しい時には祈りながら、いつも人生の節目の傍に小豆がある。祭の朝早く向かいのばあちゃんが餅の上にこしあんたっぷりの重箱をおすそ分けしてくれた。一口食べると小豆の香りが鼻腔を抜けて、本物のあんこはこれだと確信した。

 世界中いつでも、どこでも、なんでも簡単に手に入る今の時代。便利さと引き換えに、グローバル化された都市生活は複雑で根深い環境問題を抱えている。一方能登には、自然に寄り添い、慎ましくも豊かな暮らしが残っていることに驚いた。今という同じ時代を生き、同じ言葉を話している人々の生き様に「お前そのままでいいのか?」とガツンと突きつけられた気がした。

 そんな訳で婆ちゃんたちに習いながら小豆を栽培し始めた。あぜ豆の揺れる風景を眺めたり、道ばたの箕に干された艶やかで赤い小豆に触れていると縄文の太古から命を受け継でいる気がしてくる。いつしか「私もあんこを炊いてみたい。」という思いがふつふつと湧いてきた。

 「あの美しい和菓子を一度食べてみたい。」と一幸庵の水上さんのお店を訪ねた。思いがけず仕事場を見せていただけて拙い私の話に耳を傾けて下さった。「製菓の勉強もしたことないんです。でも農ある暮らしは集落のばあちゃんたちに弟子入りして、豊かな自然は植物生態学者を師匠に里山を歩きました。山清水も雪の冷たさも、燃料になる森も、おいしい木の実も美しい花も、人の知恵や、自然への畏れも、つなぐあんこ。世代を超えて、つづくあんこ。そんな「あんこの基準」が持てたらいいなと思います。」素人のくせに大それたことを言う私に、水上さんは「きっと能登のあぜ豆で作るあんこはおいしいに決まっているよ」と励ましてくださった。

 屋号は「のがし研究所」。「のがし」ってどういう意味?と聞かれると、「能」登の風土に根ざした菓子、「農」の風景につながる菓子、「野」山の恵みを活かした菓子ですと答えている。そろそろ畔に小豆を蒔く季節がやってくる。

偶然飛行機から撮れた能登の里山の上空写真。左下の白い屋根が自宅兼のがし研究所。
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豆を選りながらばあちゃん達の話に耳を傾ける。栽培、貯蔵、料理法に時々うわさ話も。
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身の回りにどんな植物があるのか知りたくて、植物生態学者の伊藤浩二さんと歩いて8年になる。
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環境省のモニタリングサイト1000
茅の輪と水無月
夏越の祓えに神社に設える大きな茅の輪。昔は千萱(チガヤ)と言う植物で作った小さな輪っかを腰につけて罪や穢れを取り除いたとか。水無月。ガラス皿に白い綿毛の千萱の輪を敷く

※青幻舎 水上 力(著), 南木 隆助(著)「IKKOAN 一幸庵 72の季節のかたち」