三粒の豆

「ネムの木の花が咲くころに小豆を蒔くんやよ。」林縁から低く張り出した木を見上げながら集落のばあちゃんは教えてくれた。以来この時期、二階の北側の窓から見えるネムを気に留めるようになった。鳥の羽に似た葉に、ふさふさとしたピンク色の絹糸を束ねたような花穂が夏の訪れを告げる。身の周りの自然の変化を見つめ「その時」に気づく感覚は都会育ちの私にとっては新鮮だった。カレンダーの日付で蒔きどきを知るより、今から始まる「豆の一年」にワクワクする。

ねむの木

百年前の集落の耕地図をみると、千枚田のように地形に沿って田んぼが広がるのが分かる。中山間地では高低差があるので水を溜めるには小さな田んぼになる。すると田を区切る畔と呼ばれる小道も必然と多くなる。もったいないので、昔から畔に大豆や小豆を作り、「あぜ豆」と呼んでいた。豆の根が張ると地盤が固まり、畦が崩れにくくなる。豆類の根は根粒菌が窒素を固定するので田んぼの稲にも養分が行き渡る。夏の草刈りは学校から帰った子供や年寄りの仕事。子供たちはお手伝いから様々なことを学び、年寄りは小さくても出来ることが生きがいとなったのかもしれない。収穫した大豆は味噌や打ち豆などの保存食に、小豆は赤飯やあんこ餅など冠婚葬祭の食卓を豊かにした。藩政時代、米を栽培する田んぼは面積に応じて納税の義務があったが、畔は税がかからなかった。自家消費で余った豆は売って、冬場の肌着や鍋釜なども購入できた。「あぜ豆」は色々な意味で人々の暮らしに根差したものだった。

「あぜのまわりは野花の楽園」NHKニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅

手には「豆ん棒」、もんぺの腰には「ずったん袋」といういでたちで畔に立つ谷口さんのばあちゃん。膝を曲げずに腰をかがめて「豆ん棒」の先端で土に穴をあける。「ずったん袋」から小豆を取り出しぽろぽろと蒔き、棒で穴をふさぐ。一か所ごとにしゃがんで蒔くより、無駄な動きがなく疲れにくい。「豆ん棒」とは木の股を利用して先端をはつったL字型の種蒔きや苗植え用の穴あけ道具だ。代々姑から嫁に受け渡されるらしく一家に一本はあって納屋などにかけてある。集落のばあちゃんたちに「お宅の豆ん棒見せてもらえますか?」と聞くと「何故そんな物見たいんや?」という顔をしながら出してくれる。それぞれに「うちのは堅いスマメ(ナツハゼ)の木でつくった。」とか「ケージャ(鍛冶屋)に金をつけてもらった。」とかいわれがある。

みんなの豆ん棒。簡素で原始的な形ながら個性があって興味深い。

 
「小豆を蒔くときは三粒ずつ蒔くんやよ。一粒目は鳥が食べても、二粒目は虫がかじっても、三粒目は自分の口に入るだろう。」とばあちゃん達は語り継ぐ。人間も周りの自然の一部として、恵みを分け合うような言葉に深いものを感じる。私も「一粒、二粒、三粒…」とつぶやきながら、畔豆のある風景をランドスケープデザインしている気分で種蒔きをしてみる。自然栽培(輪島エコ自然農園)の田の畔ではいろんな生き物に出会う。来るもの拒まずの大いなる環の中で今年ものがし研究所の「あんこLIFE」がはじまった。

(左)野ウサギは大豆の新芽が甘いのでかじりにやってくる。(中央)畔に忽然とカモの卵が一個産まれていることもありびっくり。(右)夜ノシメトンボのヤゴは田んぼから這い上り、大豆の茎に上って羽化する。

 

七月ののがし 菓名 梅雨明け

(左)艶やかな皮の内側に梅の琥珀羹を挟んでひと口の涼を。(右)渓流沿いの業平竹が脱皮する時期に皮を拾い集める。
(左)艶やかな皮の内側に梅の琥珀羹を挟んでひと口の涼を。(右)渓流沿いの業平竹が脱皮する時期に皮を拾い集める。

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