Sieboldのお茶会

 

今年の三月、長崎へ旅をした。長崎といえばカステラや口砂香、有平糖、ざぼん漬けなど甘いものが豊か。江戸時代、日本で唯一海を渡って砂糖を輸入していた出島・長崎。そのほとんどは大阪や京都、江戸から全国へ伝播して行ったが、長崎では砂糖が手に入りやすく、また中国や南蛮の菓子の製法を学ぶことができたという。福岡の小倉まで続く長崎街道はシュガーロードと呼ばれ、長崎はその起点でもある。(そんな菓子のルーツを辿った話はまた別の機会に…)

訪れた出島は歴史の教科書で見た図のイメージよりこじんまりしていた。寛永13年(1636)に築造された出島は、安政6年(1859)、オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしたという。こんな小さな島から毎年1200トン、今の金額で年間24億円相当の砂糖の取引があったとは驚きだ。

今見ても斬新な出島商館長の住居兼接待の場であるカピタン部屋。和の建築に唐紙、ブルーグリーンの欄干や西洋の家具丁度が渾然一体となって醸し出される雰囲気は独特だ。

外に出ると西洋式な幾何学に植栽された庭園の一角があった。フジやアケビなど商館医シーボルトが来日中にオランダに送ったものが400年を経て里帰りしたものだという。

シーボルト(Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866)はドイツ人の医師、博物学者で中でも日本の植物学の礎を成したことで有名だ。

シーボルト 来日200年

時間があったので路面電車に乗って鳴滝のシーボルト宅跡、記念館に足を伸ばす。ここは出島の外につくられた蘭学(西洋医学)教育を行う鳴滝塾のあったところ。

シーボルト記念館

日本の植物の中でもアジサイをこよなく愛し、日本での妻の愛称「お滝さん」にちなんでアジサイの学名に「otakusa」と名付けている。まだ花の季節ではなかったけれど庭にたくさんのアジサイが植えられていた。

能登に帰ってから、シーボルトの庭作りに関わった一人の園丁の物語浅井まかて著「先生のお庭番」を読んでみる。

旅で見た情景と重なって、往時の長崎の草木の様子、出島の賑わい、長崎の甘い砂糖の菓子が目の前に浮かんできたようだった。何より名も無き植物を調べ、標本を作り、画を描き、論文にまとめ、名前をつけてきた人々の想いに圧倒された。

ふと家の下の茂みを見ると、5年前に能登に自生するヤマアジサイの一種甘茶を探し歩いて、挿し穂を分けていただいたものが蕾をつけている。

甘茶の話

一般的なアジサイの仲間は有毒なので食用には向かないのだが、アマチャの葉は発酵させると強い甘味のお茶になる。見た目では違いがほとんどわからず見分けるのが難しい。日毎色づく花を見ながら「シーボルトもアマチャを知っていたのかも?」とシーボルトの著作flora japonicaを調べてみる。

京都大学デジタルアーカイブより

シーボルト(Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866)が日本において収集した植物標本や、川原慶賀などの日本人絵師が描いた下絵をもとに作成され、1835年から1870年にかけて30分冊として刊行された。

アジサイ好きとあって沢山のアジサイの図版が残されている。その中にアマチャも見つけられた。5年の歳月を経て花をつけ始めたアマチャと勝手にご縁を感じてしまう。そして今年がシーボルト来日200年という記念すべき年だとか。Sieboldのお茶会ができたら素敵だなと思いつく、アジサイのイメージの菓子と。

ポルトガルから戦国時代に日本に伝わったと言われる「confeito」と呼ばれた砂糖菓子がある。フェンネルシードというスパイスの種を核にして、その周りにシロップをかけながら結晶化するというとても手間のかかる菓子。当時は大変高価で希少なものだったそう。大河ドラマでは徳川家康が食すシーンもあったほど。

「confeito」が「金平糖」の語源になるのだが、今でも京都の緑寿庵清水さんなど昔ながらの製法にこだわってつくられているところがある。とても手間がかかるけれど、金平糖のようになる前の小粒の結晶を作ってみたい。

ザラメを砕いたものにシロップを一雫垂らし、熱しながらかき混ぜ白っぽくする。これを1時間くらい何度も繰り返す。

バタフライピーの青い色素を入れたシロップで仕上げに色付けをするように同様の作業を繰り返すこと30分。小粒のちいさなイガのついた薄紫のconfeitoができた。

お茶はアマチャの葉をゆっくり水出ししたものを用意する。あまり煮出したもは舌に甘さが強く感じられすぎる気がするので。

ガクアジサイは中心部に両性花があり、周辺に装飾花がある。装飾花の3~5枚の花弁に見えるものは萼(ガク)。装飾花にも雌しべと雄しべがあるが、結実しない。

そんな真ん中の両性花に見立てて「confeito」をシャーレに。装飾花はスリ蜜を琥珀糖に合わせた「寒氷」を型で抜いた。どちらも砂糖の結晶化という特徴を生かした菓子。

アマチャのお茶特有の口に含んで一瞬後にくる甘さ。その後にシーボルトの生きた時代の菓子confeito、シャクっとした食感の寒氷。

我が家の下のアマチャもすっかり色づいて、ひと枝採集して牧野式胴乱に。アマチャとotakusaのカードはシーボルトのflora japonicaの図版より。

牧野式胴乱の話

最近庭に仲間入りした西洋アジサイの仲間のカシワバアジサイ(左)アナベル(右)と一緒に。アマチャ(中央)はコンプラ瓶と呼ばれる出島から輸出されるときに使われた醤油瓶に活けて。

アマチャも一般的なアジサイと同様、土壌のphによって花弁の色がピンクや水色と多様になる。

最近身の回りで気になっていたアジサイ。蔓性のアジサイだからツルアジサイ。知人の家の壁面に気根を出して蔦のようにびっしりと絡まっていた。軽やかな緑色の花をつける。

山で高いところに見かけたイワガラミ。装飾花が一枚ピランと付いていて楚々として園芸種にはない素朴さと孤高な感じが良い。

これらもちゃんとシーボルトのfloral japonicaに載っていた。