芽を出した小豆が低くすぐに雑草に埋もれてしまう。都会育ちの私達は集落の人々のようにこまめな草刈りが身につかず気がつけば草ぼうぼう。慌てて耕作放棄地の畑は草刈り機で小豆の畝間を刈り、株間は鎌で手刈りする。あまりの暑さに疲れ果てボーッとしていると、熟した茶色い鞘がパリッとはぜて赤い小豆が並ぶ晩秋の様子が蜃気楼のように浮かぶ。気を取り直して二時間かけてやっとのことで畔一本終了。あとひと月もすれば黄金色の稲の合間に豆の緑が浮かび上がり「あぜ豆のある風景」が望めるだろう。

お盆を過ぎて青大豆には萩の様なピンクの花、千石黒豆には白い花が咲き始めた。続いて小豆には黄色い蕾がついた。マメ科でもそれぞれに違う色の花が咲くというのは育てて初めて知った。

毎年、草地でススキに蔓で巻きつく小豆そっくりの黄色い花に出会う。調べるとヤブツルアズキという小豆の原種で、一万年前の縄文人も食べていたという。
ヤブツルアズキは中国西南部やヒマラヤ南麓の照葉樹林地帯が原産で、蔓性で黒くて小粒な豆だ。自然に交雑したものの中から進化して現代のような赤くて大粒の栽培小豆ができたと考えられている。実際小豆の畑の近くのヤブツルアズキを調べたことがある。赤っぽいのやマダラ紋様など色々あるのでもしかたら栽培種と交雑しているのかも知れない。蔓性でない直立性の小さな小豆も出てきたが雑草アズキとかノラアズキと呼ばれるものらしい。猫、犬ならぬ小豆にもノラがいるとは恐れ入ったが、「野生のあんこ」にもそそられて今年はノラアズキも栽培してみた。

ヤブツルアズキから品種改良された現代の小豆が中国から伝来された時、小豆の赤色は太陽や火の様に生命力溢れた色として魔よけや呪術的な力があるものとして信じられていた。そこで厄払いの意味から冠婚葬祭などには小豆を使った料理が供されるようになったと言われている。とはいえ今ではお祝い事に赤飯を食べたり、お彼岸におはぎを買う文化は薄れつつある。そんな時代にあって今なお能登の集落のばあちゃん達が自分で小豆を栽培し、祭りに赤飯を蒸し、餡を炊く。農業を通じて自然と向き合い、人間の限界を感じ、自然に対する畏敬の念があってこそ何世代も途切れることなく小豆を食し、祈り続けたのだろう。
いにしえから繋いできたものはまさしく日本の食の原点のはずなのに、どこかアジアの異国の習俗のように感じてしまう。それくらい私たちは大切なものをどこかに置き忘れてきてしまったのだろうか。
九月ののがし 菓名 今昔
