この春に工房を移転しました。

およそ10年間、お世話になった工房を最初に訪ねた2004年の夏の光景を、いまでも鮮明に思い出せます。知人からの紹介で海辺の集落に案内され、細い坂道を上りきったところに建っていた茅葺き民家。玄関先にあった大きな大きなサルスベリ。伸び伸びした枝振りがきれいな樹形をつくりあげ、赤い花が満開でした。このサルスベリで黒が染められることに気づくのにしばらくかかりました。 木が高くて枝葉が採りにくかったので、 当初は蘖(ひこばえ)もよく使っていました。かなり濃い鼠色まで染めていましたが、いま一歩、黒になりきれていませんでした。

 

翌々年あたりから、秋にサルスベリの葉がほぼ一斉に落葉するのに気づき、それを拾い集めて染めて染めるようになりました。すると、蘖(ひこばえ)や枝葉のときと同じ分量と同じ手順で、しっかり黒が染まったのです。どうも葉にその色の素がたくさんあるようで、落ち葉拾いがきっかけで、必要な分量を葉だけで用意できたのが功を奏しました。

 

染め始めは淡い鼠色から。そこから染め重ねていくと、どんどん濃くなってかなり黒に近づいた鼠色になります。水に濡れていると実際より濃くみえるので、そろそろいいかなと引き上げると、もう一歩たりない。見た目にはもう一歩でも、染め作業としてはまだまだです。「黒っぽい」と「黒」はまったくちがう。サルスベリで染めたその黒は、色を感じない、澄んだ印象なのです。その境界を超えるとき、いまでも「いった!」と心で叫んでしまいます。

 

星名康弘/植物染め 浜五

 

「植物図鑑」のはじまり

わたしたちは、植物の色に魅せられ、紙、糸、布などを染めている二つの工房です。植物で染めるということ。そこにある大切なこと、見過ごしてきたことをていねいに拾い上げていくために、染料となる植物の図鑑をつくりたい。見て頂いた方とのコミュニケーションをとりながら、新しい発見もしながら、制作を進めていきたい。そんな思いから立ち上げたプロジェクトです。
■監修:新潟県立植物園 倉重祐二

プロフィール

星名康弘
星名康弘(ほしなやすひろ)/植物染め 浜五新潟県十日町市生。
文化財建造物の修復の仕事を経て、染色の道に進む。 新潟市の海辺の集落に工房を構え、暮らしの品々を植物で染めている。
田中雄士
田中雄士(たなかたけし)/紙工房 泉紙漉き職人。
福井県越前市での修業の後、故郷・新潟県弥彦村に工房を開く。素材のもつ個性を大切に、一枚一枚丁寧な紙つくりを行なっている