庭の池

変奇館を訪れた方が驚くことがある。
 半地下になっている居間兼食堂にそって幅一メートル足らずの池があり、十匹前後の錦鯉が泳いでいるからだ。
 清貧とまではいわないが、およそ成金趣味とは無縁であるように思われる瞳が、自宅でこともあろうに田中角栄などに代表される、庭の池には錦鯉、という趣味を持っているとは、どうも印象からして馴染まない。…

変奇館その後

瞳が『男性自身』の連載の中で、本コラムのタイトルと同じ、「変奇館その後」を書いたのは四一九回目で一九七二年の一月のことだから、実際に書いたのは前年の暮れだっただろう。
 その中で、変奇館が出来上がってから三年近くになると書いている。
 これからしばらく、その「変奇館その後」で書いたことについて考えてみたい。…

庭の焚き火

今年の九月からわが町のゴミ収集が有料化された。これまでも細かい分別収集だったのだが、有料化にともない、さらに分別が細かくなった。小さな町であり、もともとゴミの焼却はかなり離れた別の町にお願いしていたのだった。
 それでも、隣接している市の住人には、うちは二年前から有料だ、そっちは二年分、得したじゃないか、とうらやましがられた。
 何もかも一度に燃やせる高性能の焼却炉をつくればいいのではないかと思う。その資金を集める有料化だったら賛成なのだが、そうでもないようだ。…

はじめてのクーラー

「変奇館」にはじめてクーラーを導入したことを書いているのが、『男性自身』シリーズの第407回「カラスミ奇談」だ。
 前にも書いたことがあるかもしれないが、新築された瞳の自邸(変奇館)は南側が全面ガラス張りというものだった。
 当時は隣近所も建て混んでいなかったので、建築家は北側も全面ガラスにすると言った。…

変奇館以前(3)

風呂場が破壊した。底のタイルが割れて流し場がザアザア洩るし、湯船も洩ってしまう。女房が何度もセメントで修理したが、素人の手に負えないくらいひどくなった。 -
 と書いているのが『男性自身』シリーズの中の「職人気質」だ。…

変奇館以前(2)

henki_1208布の家を取り壊すことになったと瞳が書いているのが、『男性自身』シリーズの第86回「職人気質」である。
 山口家は僕が生まれたとき、麻布二の橋と三の橋のちょうど中間あたりに家を持っていた。
 当時は祖父母、伯父一家、叔父一家、と嫁入り前の叔母やらなにやらで十人以上の大所帯だった。したがって間数の多い、ずいぶんと大きな家だった。これが東京オリンピックに伴う道路拡張工事で撤去されることになったのだ。…

変奇館以前(1)

この家に引越してきてから、一年と三カ月が経つ。(「夜中の対話」)
 と瞳が書いているのは、『男性自身』の第八十二回。一九六五年六月のことだ。
 サントリーを退職したことにより、元住吉の社宅に住んでいる権利を失い、一家は東京都下の国立市(当時は町)に引っ越してきた。…

樹木の二年後、三年後

手のひらが赤く腫れ上がるという奇病におかされたと書いているのは、『男性自身』シリーズの中の、『変奇館日常』(新潮社・刊)、「木の恨み」(第393回)一九七一年の『週刊新潮』七月三日号だ。妻の治子は瞳に、「きのせいよ」と言った。
 それを瞳は、「気のせいよ」と聞き間違えたのだか、本当は、「木のせいよ」という意味だった。

 瞳は庭の雑木の剪定に励んでいる。その切り方はずいぶん乱暴で、そのせいで樹木の恨みをかった、というのが治子の意見だったのだ。樹木の恨みによって変な病気になったのだというのだ。…

その後の雑木林

せんだって山口瞳の「電子版全集」の配信開始と関連づけてちょっとした講演会のような催しものがあった。僕も講師として招かれたのだが、その折、変奇館の雑木林はどうなったのかという質問がでた。
 とりあえずは、庭は当時のままですとお答えしたのだか、少しばかり言葉が足りなかったと反省している。詳しくは「チルチンびと広場」を読んでくださいとでも言えばよかったのだ。

 しかし、今現在、この電子版全集に解説を書いている関係で、瞳が三十余年をついやして週刊誌に書き続けた、エッセイ『男性自身』を改めて最初から読み返している。…

サクラ材のテーブル

瞳が、『男性自身』シリーズの第832回「閑人独語」でサクラ材のテーブルについて書いている。
 以前、触れたように変奇館は水害にあい、半地下の部分が水没してしまった。そこにあったのは食堂兼居間と台所、風呂、そして増築前は僕の部屋であった物置だ。
 半地下で一年中、日が差さず、じめじめと湿っていた僕の部屋はワインセラーに最適であり、物置としても重宝した。しかし、そんなところが子供部屋とはね。建築家は子供はさっさと巣立つものだから、居心地などは悪い方がいいと思っていたらしい。…

雑木林の作り方

山口瞳が1976年の「週刊新潮」6月24日号に「風が吹く」というエッセイを書いている。その中に雑木林の作り方というようなことが出てくる。
 - 雑木の庭をつくるときは、植木屋が完成された木を持ってくるのではない。三年先のことを考えて持ってくる。-…

二代目だった雑木林

変奇館の庭は雑木林を模しているということは以前にも書いた。新築したときに、懇意にしていた奥多摩の造り酒屋の裏山から実生の苗木をもらってきて、それを植えたと。
 しかし、どうもこれは僕の誤解であったようだ。

 いま、ちょっと別の理由があって父が週刊新潮に連載していた、連載エッセイの「男性自身シリーズ」を最初から読み返している。その第601回目、「雑木林の庭」を読んで、愕然とした。庭に椿があったということは聞いていた。ある時期、瞳は椿に凝った。根が凝り性だから、いいと思うとあれもこれもと買い込んで、はじから庭に植えていった。…