変奇館以前(2)

henki_1208布の家を取り壊すことになったと瞳が書いているのが、『男性自身』シリーズの第86回「職人気質」である。
 山口家は僕が生まれたとき、麻布二の橋と三の橋のちょうど中間あたりに家を持っていた。
 当時は祖父母、伯父一家、叔父一家、と嫁入り前の叔母やらなにやらで十人以上の大所帯だった。したがって間数の多い、ずいぶんと大きな家だった。これが東京オリンピックに伴う道路拡張工事で撤去されることになったのだ。
 すでに瞳一家親子三人は国立に越してきていた。麻布の家はある企業の寮として貸していたのだった。

 今、建てれば五百万円はかかるだろうと瞳は書いている。それを解体して部材を売ると一万五千円にしかならないので、兄弟みんなで分けることにした、という。
 ちなみに、国立の土地は購入したときに八十坪で五百万円だった。それを母から聞かされたとき、僕は一坪が五百万だったの、と聞き返したものだ。
 今現在、近所の三十三坪の建て売り住宅が約四千万円である。これで当時の貨幣価値がお分かりいただけるだろうか。
 ともかく、瞳が引き取ったのは八枚の畳であった。
- やっぱり、もとの家の畳は、いまの家の畳よりは上等だった。畳屋をよんで、いれかえてもらうことにした。ところが、どういうわけか空間ができてしまう。(「職人気質」)

 六枚を周囲に並べ、真ん中に二枚を置くという八畳間の決まり通りに敷くと妙なところに隙間が出来てしまうのだという。
 それで四枚ずつを並べて敷いたのだが、なんだか柔道場のようで落ち着かない。
 瞳は妻と一緒になって、色々と試したようだが、どうしても、どこかに隙間ができる。
 いっそのこと、片側に寄せて、できた隙間に板を敷き、その部分を床の間風にしてみてはどうかと思ったのだが、畳屋があれっきり来なくなってしまったという。どうやら臍を曲げてしまったらしい。瞳のほうでも無理な注文という意識があるから頼みにくい。これを称して、瞳は職人気質とした。
 麻布から畳を持ってきたということも、サイズが合わないで隙間ができてしまったということも僕は憶えていなかった。なにしろ一九六五年の七月ごろのことである。