台風一過(2)
立の変奇館が何度も雨漏りにみまわれて往生したという話は何度も書いているような気がする。しかし、風の被害については、あまりふれていなかったのではないだろうか。
わが家の親子三人が国立に引っ越してきたのは、僕が中学の二年生になった頃だった。それまで、中学一年生として一年間は東横線の元住吉駅から、いまは住みたい町ナンバーワンの武蔵小杉駅を経由して南武線で谷保駅まで通っていた。そこから徒歩で登校していたのだ。
この道中だけで生来虚弱な僕はすっかり疲れてしまい、勉強どころではなかった。それはともかくとして、当時から冬になると木枯らしと共に砂塵が舞うことを、僕は両親よりも一年早く知っていたのだ。…

んだっての日曜日の昼過ぎ。変奇館の玄関でチャイムが鳴った。最近では来客も珍しい。何事かと思ったら、数年前に引っ越ししてこられた、お隣のFさんのご主人だった。わが家が国立に引っ越してきたころ、南隣は立派な山小屋風のHさん宅で、ご主人は確か日野か八王子あたりの地方裁判所の裁判官を勤められている方と聞いていた。
奇館の15坪ほどの狭い庭の南端に瞳が植えた月桂樹の立ち木がある。高さはおよそ3メートルほどだろうか。薫り高いローリエとして料理に使えるのだが、実際にわが家で使用したことはなかったようだ。
口瞳のことだから、朝食は和食だろうと思われるかもしれないが、祖母の静子、つまり瞳の母親が大変、ハイカラで、朝食は目玉焼きにトーストという人だった。
が家の朝食は一貫して洋食であった。
ったに自宅で食事をすることがないのだが、炊飯には土鍋を使用している。
が不器用であったことは、本人が一番よく知っていた。そして、また、そのことを何度も書いている。
の南西の片隅にある辛夷が枯れた。去年の夏ごろから様子がおかしく、紅葉したのかと思ったら葉を落してしまい、それきり、今年になっても開花しないままだった。
卓の皿小鉢から箸置きにいたるまで、僕が生まれたころは、すべて魯山人の作品だった。しかし、今現在、わが家に残っているのはほんの数点にしかすぎないのだ。
山人については、いずれまとめて書かなければならないと思っていた。
節柄、あまり取り上げたくない話になるのかもしれないが、山口瞳を語る上で避けて通れないのが、象牙の箸だ。
こからしばらく、庭にある池について書いてみたいと思う。最近はビオトープなどといって自宅や公園に自然を模した池を造るケースも多いからだ。