台風一過(1)

henkiんだっての日曜日の昼過ぎ。変奇館の玄関でチャイムが鳴った。最近では来客も珍しい。何事かと思ったら、数年前に引っ越ししてこられた、お隣のFさんのご主人だった。わが家が国立に引っ越してきたころ、南隣は立派な山小屋風のHさん宅で、ご主人は確か日野か八王子あたりの地方裁判所の裁判官を勤められている方と聞いていた。
 私道を挟んだ東側は、栗林だった。休耕農地に便宜上、栗の苗木を植えたのだろうか、今は木造二階建てのアパートになっている。北側は市道を挟んで日展の彫刻家だったI氏邸。そして、西側は二百坪の敷地の半分がなんとゴルフの練習場で、残りがタクシー会社の駐車場になっていた。両方とも、引っ越してきた頃でも、打ち捨てられたような廃墟になっていた。もう何年も使用されていないようすだった。

 その西側の土地は1970年代に二棟の木造二階建てのアパートとなり、南側の奥まったところに地主さんが自邸を建てた。
 この大家さんが10年前に亡くなり、跡取りもいないまま、放置されていたのだが、数年前に6棟の建売住宅に変身したのだった。 ということで、変奇館の西側に隣接した建売に入居されたFさんは、南側のHさん以外では、わが家が国立に引っ越してきてから、五十年目にして、はじめての隣人らしい隣人ということになる。
 引っ越していらっしゃったときには、丁寧にご挨拶もいただいていた。これも初めての経験だった。HさんもIさんもわが家よりも前からの住人であるので、引っ越しの挨拶はこちらからしたのだった。

 そんな訳で、Fさんとは道であえば、挨拶する仲になったわけだが、今日は特別な用がある様子だった。
 Fさんがおっしゃるには、家の東側に物干し竿と網戸が落ちているが、山口さんのものではないか、ということだった。
 なんと、拙宅の物干し竿と網戸が、数日前の台風でFさん宅の敷地まで飛んでいたのだった。強風のさなか、大きな落下音を聞いた記憶があった。
 現物を確認すると、確かにわが家のものであった。その旨、伝えると、まだ好青年と呼んでもいい、若いFさんがひらりとフェンスを乗り越えて物干し竿を拾い上げると、僕に手渡してくれた。幸い、F邸のガラス戸を突き破ったり、壁に傷をつけたりしていないようだった。(この項、つづく)