年の九月からわが町のゴミ収集が有料化された。これまでも細かい分別収集だったのだが、有料化にともない、さらに分別が細かくなった。小さな町であり、もともとゴミの焼却はかなり離れた別の町にお願いしていたのだった。
それでも、隣接している市の住人には、うちは二年前から有料だ、そっちは二年分、得したじゃないか、とうらやましがられた。
何もかも一度に燃やせる高性能の焼却炉をつくればいいのではないかと思う。その資金を集める有料化だったら賛成なのだが、そうでもないようだ。
そういえば、瞳は変奇館の狭い庭で、落ち葉はもとより紙屑など燃えるものは、なんでも燃やしていた。焚き火はわが家のお家芸であり、僕も以前は落ち葉がたまると、瞳の時代から場所が決まっている庭の一角で焚き火をしたのだった。
瞳の死後、庭の焚き火は僕の仕事になった。
しかし、数年後、盛大に燃やしていたところ、隣家の窓がぴしゃりと閉まる音が聞こえた。おそらくは煙が入り込んだのだろう。
母の治子も、あんたもういい加減にやめたら、と小言まじりに言うのだった。
それ以来、僕は焚き火をしていない。
瞳は、ともかく焚き火が好きだった。
友達づきあいをしていた駅前のタクシー会社の人に深い穴を掘ってもらう。それがシーズンの終りには埋まってしまうほど何度も何度も焚き火をした。
当時は当然のことながら原稿は手書きだった。編集部に送られた原稿はしばらく経つと筆者に返却される。それを瞳は惜しげもなく焚き火にくべてしまうのだった。
すでに活字になっているものが本来の姿で、手書きの原稿用紙は、その脱け殻でしかない、というのが瞳の感覚なのだった。
それと気がついた治子が、ポストの中に戻ってきた原稿があると、密かに抜き取るようになった。現在、わが家に少しばかり残っている瞳の生原稿はこうして救われたものなのだった。
焚き火にはアルミホイルに巻かれたさつまいも、じゃがいも、それにトウモロコシなどが放り込まれることもあった。それもまた、秋から冬にかけての楽しみなのだった。
変奇館の庭は雑木林になっているのだが、その最大の理由は焚き火のための落ち葉を得るためでもあったのだ。