七十二候・第四十八候
水始涸(みずはじめてかるる)

一汁一菜

10月3日~10月7日頃

 

一汁一菜でシンプルに

先週は出張先の会津盆地を縦断しましたが、どの農家も稲刈りに従事していて、季節の移ろいを実感しました。
今年の夏は、このまま涼しくならないのではないか、と思えるくらい暑かったから、農村の豊穣の光景を目の当たりにすると、ありがたい気分になります。

既にお米屋さんやスーパーでは各地から届いた新米が並んでいますが、おいしい白飯は、なるべくシンプルに堪能したいものです。
そんなときに思い浮かぶのが、一汁一菜という言葉。
そして、もともと禅寺などで供される粗食のことを指すこの概念を、現代生活に即した文脈にアレンジしたのが、土井義晴先生の「一汁一菜でよいという提案」という一冊でした。
「禅=一汁一菜=精進料理」ということではなく、手間をかけずとも「汁」の中にいろいろな素材を入れれば、それだけでごちそうになるんだよ——という提案は、とても斬新に感じられたものです。
土井先生の場合、「菜」は具として「汁」の中にいれて一体化させてしまうところがミソ。
SNSが普及したことで、色鮮やかなお料理を幾品も作って披露することがリア充の証明のようになってしまいましたが、そこにどこかしっくりこないものを感じている人にとっては、嬉しい視点だったのではないでしょうか?

僕の場合、「あれもこれも食べたい!」という超空腹モードのときは、何品かおかずを作りますが、週のうち半分は、土井先生流の一汁一菜をベースに、もう一品加えたりして(以前このコラムでお話しした焼野菜のような簡単なもの)、ノーストレスでさっと夕餉の支度を済ませてしまいます。
汁の具はその時々で変わりますが、豚肉は脂がよい出汁になるので、ひんぱんに登場。その際は、好物のお芋も一緒に。じゃがいも、さといも、さつまいも——どれと合わせてもおいしい豚汁になるんですよね。
今だと、さつまいもなんかがよいでしょうか。

飯碗と汁椀というシンプルな配膳は、これも土井先生の著書にもある通り、お盆を使って給仕すると便利。運んで、食べて、そのまま片づけられるので、合理的ですよね。
そして、この一汁一菜——。品数が少ないからこそ、うつわが果たす役割も大きいのかな、と思っています。ささやかな贅沢として、自分の目と手になじむお気に入りのうつわを調え、日々の食事を慈しんでみましょう。

(飯碗:池田大介 汁椀:村上修一 塗り盆:松崎修)