10/28~11/1頃
道具か食器か
時折、道具と食器の境目ってどこら辺にあるのだろう?と考えることがあります。
たとえば、縄文土器や弥生土器は煮炊きにも使われたやきもので、調理道具であると同時に、食器(いわゆる『共用器』)でもありました。器の話をする上で、あまりに古い先史時代の事例を持ち出すのはルール違反かもしれないけれど、道具と食器は『食』というジャンルの上では同根であり、それらが未分化だった時代もあったのです。
当時は、住居内で煮炊きする空間と食べる空間が混然一体になっていたと思われますが、時代が下って住環境が変化し、台所(土間)と居間が分かれたことで、調理したものを食器に盛り替えて供する習慣が整っていったのでしょう。
日本の食卓の場合、鍋料理などは土器時代の食文化の残滓のような気もしますが、現代生活においては基本的に『道具=キッチンで使う機能性の高いもの』『食器=ダイニングで使うデザイン性の高いもの』というようにそれぞれが進化し、このふたつは意識的に棲み分けが成されています。
とは言え、ちょっと疲れているときなど、台所道具と食器を一体化させれば洗い物も少なくなるのに……と、横着な考えが頭をもたげることもあるのではないでしょうか?
そう考えながら台所を見渡してみると、目につくのが『すり鉢』。これは道具でありながら食器としても使えるアイテムで、工夫次第で食卓を賑やかすことができるでしょう。
陶製のすり鉢は、島根県西部一帯が大きな生産地(石見焼=いわみやき)で、こちらの土で作られるすり鉢は質が高いことで有名です。
先日は、同県江津市にある石見焼の窯元からシンプルなたたずまいのすり鉢が届いたので、さっそくフードコーディネーターのタカハシユキさんに使い心地を試してもらいました。
お料理にフルーツをあしらうのが得意なタカハシさん。この日作ってくれたのは、皮ごと食べられるシャインマスカットとナガノパープル、二種類のぶどうを使った白和え。擂りたての胡麻の風味と崩した豆腐のコク、葡萄の甘みが立体的に感じられて味わい深く、秋ならではのちょっぴり贅沢な献立でした。
こうやって道具と食器のボーダーをあいまいにしたまま、作ったお料理をそのまま食卓に供してみると、道具としてのすり鉢の姿かたちが、『用の美』という形で我々の眼を楽しませてくれるように思います。
ここでは秋を感じさせる白和えを作っていますが、冬や春であれば、青菜のごま和えやたけのこの木の芽和えなどを。
あるいは和食に限定することなく、ゆでたジャガイモをマッシュしてポテトサラダなどを作り、そのまま食卓へ――というような使い方も良しとしてみたいところです。
(すり鉢:元重製陶所作)