犬の話(5)

いいかげん、犬と縁がないという話は止めてくれという声が聞こえてくる。ご心配なく、これが最後です。さすがに僕も飼い犬とは縁がないのだと気がついたが、その最後通牒のような犬は、血統書付きのシェパードだった。瞳が国立に引っ越してきて、しばらく経った頃、まだ家は賃貸で安普請の木造二階建てだった。これを後に買い取り、さらに数年後に新築して変奇館と名づけたのだった。

 それはともかくとして、シェパードの件だ。瞳は当時、野球の観戦記事を書くことが多かった。また、キャンプを訪れるというような連載も持っていた。スポーツ紙Hの担当者のNさんは、ご自宅も多摩地区で国立から近く、個人的にも親しくしていた。
 そのNさんは、当時としては珍しかったのではないかと思うが、趣味で犬のブリーダーをしていた。それも、山間の新興住宅地の広い庭を利用してシェパードの繁殖をしていたのだ。一度、一家でお邪魔したことがあるのだが、玄関先では大きなフクロウが飼われていて、生物が好きな僕は、すっかり魅了されてしまった。そんな僕を見て、子犬が生まれたら差し上げますよ、ということになってしまった。これまでの経緯をみれば、お断りするのが順当だったのだが、Nさんと父の間で、そんなことになってしまったのだった。
 それからしばらくして、突然、段ボールの箱に入れられたシェパードの子犬が送られてきた。僕が学校から帰ると、その段ボール箱は玄関のたたきに置かれていた。子犬とはいえ、すでにして一般の中型犬ほどの大きさがある。中でも驚いたのは、前足が僕の腕よりも太いことだった。虚弱体質の僕が貧弱な腕を持っているとしても、これは只事ではない太さであった。一目見て、さすがに手に負えないと感じた。中学生であった僕は家にいる時間も短く、このシェパードがどのくらい家にいたのか記憶がない。瞳も餌として大量の生肉が必要であることなどを思うと、気乗りがしていない様子だ。

 困ったことになったが、日ならずして、問題が解決した。ご近所に住んでいた、当時、「婦人画報」の編集長で、瞳に初めて小説を書かせた矢口純さんが、持ち前の男気をだして、「あたいが引き取る」と申し出てくれたのだ。矢口さんはご自分のことを“あたい”とおっしゃる。シェパードの子犬は、あっと言う間に我が家から矢口邸に貰われていった。あとで矢口さんはだいぶご苦労なさったと聞いている。