犬の話(4)

つくづく飼い犬とは縁がないようだ。
 あれは、まだ元住吉の社宅に住んでいたころだろうか。
 父、瞳の畏友であった伊丹十三(当時は一三)さんから、自分が飼っている犬を譲りたいという連絡があった。
 僕が動物好きであることを知っている伊丹さんが、僕にその話を持ってきたのであって、瞳に飼わないかと言ったわけではない。
 瞳が犬猫を苦手としていることを伊丹さんは知っていたに違いない。

 一方の伊丹さんは大の猫好きとして知られ、当時のご自宅には小金丸、それを縮めてコガネという名前の愛猫がいた。
 お宅は今でいえば、地下鉄半蔵門線の半蔵門近く、三階建てのコンクリート製の洋館だった。
 両親とお邪魔するたびに、猫のコガネは室内にいるので、よく遊んだものだが、犬もいることは知らなかった。
 どうやら、一階部分に家事手伝いの方が住んでいて、犬は庭で飼われていたらしい。
 ちなみに、二階がワンルームの広い居室と寝室、バス、キッチンになっていて、三階が書斎だった。
 伊丹さんが長期に渡ってヨーロッパに行くことになり、家事手伝いの方も一時離れることになったので、犬の行き場所がなくなった、という事情があった。
 そこで留守中の預かり先として白羽の矢が立ったのが、動物好きの僕だったのだ。

 譲渡のために伊丹邸を親子三人で訪れて初対面の犬を見ることになるのだが、まっ黒な長毛種で大きめの中型犬だった。すでに、老犬といってもいいほどの立派な成犬だ。
 伊丹さん自らが玄関先でシャワーを浴びせ、当時としては珍しかったオイル・ヒーターで濡れた毛を乾かしてやっている。手入れもしていないらしく、ずいぶん汚れていた。
 伊丹さんが、「久しぶりに、すっきりしてよかったな」と犬に話しかける。
 当時、僕は小学校の高学年であったとはいえ、立派な成犬をいきなり飼育できるほどの体力も技量もなかった。
 ともかく、父も母も、まったく犬を飼おうという気持がなかった。そして、僕もこの可哀相な犬に愛情を持てるとは思えなかった。ちょっと無理だと思います、と僕は伊丹さんからのせっかくの申し出を、その場でお断りした。