犬の話(3)

 henki_1013うお気づきかもしれないが、僕と犬の相性が悪いというか、ご縁がないというのか。
 本来、生き物は苦手なカタツムリとナメクジをのぞいて、なんでも好きで興味があるのだが、どうも犬を飼育するという機会には恵まれていないようだ。
 僕が小学校の四年の二学期が終わると同時に住み慣れた港区麻布から川崎市木月大町に転居した。もよりの駅は東横線の元住吉だ。
 入居した二軒続きのタウンハウスの前には水田が広がっていた。麻布でも原っぱで遊んでいた僕は欣喜雀躍してザリガニを掬い、青蛙を観察した。しかし、翌年、田んぼは埋め立てられて宅地造成が始まり、敷地の傍らにはプレハブの作業場が建てられた。

 ある日、埋め立てのために、半ば荒野となったような敷地を探検していると、生まれたての子犬がよちよちと歩いている。捨て犬だろうと判断して自宅に連れ帰った。柴犬のようであったが、雑種だったかもしれない。
 母親は、どうせ世話をするのは私だろう、と烈火のごとく怒ったが、玄関のたたきで飼うことで、なんとか納得してもらった。
 いま、この子犬の名前を思い出せない。たぶん名前で呼んでいたと思うのだが。
 僕は毎日、近くの大学のグランド周辺まで散歩に連れ歩いた。子犬は僕によく懐き、世話はそれほど難しいものではなかった。
 東横線の自由が丘駅の駅近くの商店街にペットショップがあって、そこで、ちょっと贅沢な本革製の首輪を買ってあげた。
 数日後、子犬の散歩がてら、くだんの埋め立て地を歩いていると、作業場から職人さんが出てきて、その犬は家の犬だと言う。
 作業場の敷地を覗き込むと、確かに同じぐらいの年格好の子犬が数匹、遊んでいる。
 見付けたのは、この作業場の前だった。親にはぐれて出てきてしまったのだ。
 僕は首輪を外して、子犬をその職人さんに渡した。彼は、あれ首輪は持って帰っちまうのかよ、言って笑った。

 帰宅して事情を話すと、母は、まったくあんたのやることは、なんでも中途半端だ、とあきれるのだった。
 母は、すでにあったのか、そのときに買ったのかは忘れたが、子犬とほぼ同じ大きさの犬のぬいぐるみの首に、丁度お似合いだと、手元に残って用がなくなった首輪を付けた。
 この犬のぬいぐるみは、首輪もそのまま装着されて、今でも我が家にある。