犬の話

飼飼い犬の話は最後まで残しておこうと思っていたのだが、最近になって少し触れてみたくなった。
 僕の生家は大所帯で十余名が一緒に暮らしていたのだが、Kさんという老夫婦も同居していた。この方は遠縁だと思っていたのだが、あとから他人であることがわかった。
 そのご主人が我が家の裏庭で飼っていたのが、ムクちゃんという雑種の中型長毛犬だった。僕が物心ついた頃にはすでに老犬になっていたから、いつ頃からいたのかはわからない。
 Kさんはもう腰の曲がった老人があったから、日頃の仕事は、このムクちゃんの散歩ぐらいのものだった。

 僕も、たまに学校から帰ってくると頭をなでてやったりしていたが、特に懐くということはなく、一緒に遊んだという記憶もない。思い出というか、子供心にも印象深かったのは、このムクちゃんを手ばなすことになったときのことだ。
 それがどんな経緯からだったのかは知らないが、ともかく、これ以上の飼育ができないような事態が発生したのだろう。
 やはり同居していた叔父が近くにあった医療関係の研究所にムクちゃんを寄付するために連れていった。
 おそらくは実験動物として扱われることになったのだろう。
 叔父が運転する車にムクちゃんを乗せて運んだのだが、驚いたことに、叔父が帰宅する前に我が家まで戻ってきてしまった。
 どうやら、到着した直後に隙を見て、研究所を脱走してしまったらしい。
 家にいるムクちゃんを見て、叔父は「やっぱり、動物でもわかるんだなあ」などとは言ったものの、今度は厳重に注意して、再度、ムクちゃんを研究所に連れていった。
 そして、二度とムクちゃんを見ることはなかった。

 これが僕と飼い犬との最初のエピソードだ。
 それ以来、どうも飼い犬との縁が薄い。基本的には生き物が好きで、何度か犬の飼育に挑戦していたのだが、上手くいかなかった。実は両親共に生き物が苦手なのだった。特に父は、死なれて泣くくらいならば最初から飼わなければいいじぁないかという自説を持っていた。
 以後、これまで接した何頭かの犬との、不幸な物語を少し書いてみようと思う。