歯についての色々なこと

ものごころついてから今に至るまで、歯では苦労をした。虫歯もさることながら、小学校の低学年のころでも、ちょっと歯茎を吸ってみると出血し、同級生にドラキュラの物真似をしては嫌がられていた。
 昨年、一念発起して大工事を敢行した。およそ丸一年をようした治療の結果、インプラントが三本と根管治療が一本、水銀アマルガムを充填してあった歯三本を無害なものに交換した。これが我が歯科治療人生における二度目の大工事だった。一度目は高校の三年間をようした虫歯療後の歯列矯正だ。

 思えば、両親ともに歯が悪い。これは遺伝なのだろうが、日頃の手入れを怠ったせいでもある。父も母も五十代には二人とも総入れ歯に近かった。
 父は幼少のころ、夜中に目を覚ますと、お目覚と称して枕元にコンペイトウが置かれていて、それをしゃぶりながら、もうひと寝入りしたという。幼児が深夜に泣きじゃくらないように、そんなものを用意していたのだ。いかに医療知識がないとはいえ、これでは虫歯を促進しているようなものだ。
 長じては乱杙歯となり、昔は額縁といった歯を金歯で囲うような治療をほどこした。

 サントリーに途中入社するさいに面接官から、その歯を治してくださいといわれたほどのひどい状態になっていた。
 その後、親友であった伊丹十三(当時、一三)さんから都内の一流ホテルのアーケード内にある歯科医を紹介され、きちんとした治療を施されることになる。
 ホテル内にあるからといって高級で保険治療が効かないなどということではない。接客業であるホテルマンの福利厚生を図るために置かれているのだ。また、明日一番のフライトで帰国するのだが、にわかな歯痛で何とかしてくれ、というような急患のためでもある。
 したがって治療は迅速であり、なおかつ丁寧なものであった。
 僕も中学の三年生が終わろうとするころ、両親に連れられて、この歯科医を訪れた。
 僕の歯並びは中央で一本分ズレていて、犬歯は右が外側、左が内側に飛び出しているという八重歯だった。また、ほとんどすべての歯が虫歯になっていた。これを右上、右下、左上、左下、と四等分して、各一日ずつ、連続四日間ですべて治療した。そこで、さて内側に突き出した八重歯は抜歯しましょうということになった。

(この項、つづく)