免許皆伝

自慢じゃないが、およそ賞罰や資格とは関係ない人生を歩んできた。唯一の資格ともいえるものが普通自動車の免許だろうか。
 きちんとした企業に就職していなかったので、学校を卒業してから、これといった身分証明書ももっていなかった。運転免許証がもっとも手っとり早い身分証明書であったことから、教習所に通うようになったことは、前回、少し触れた。
 幸い、時間だけはたっぷりとあった。これはもう時効だろうが、教官の一人と義理の叔母が知り合いだったことから、少しばかり予約時間などを優遇してもらえるという恩恵にも預かった。

 おかげさまで、かなり余裕をもって運転免許の取得に成功することとなったのだが、いざ免許を手にしてみると、当初の目的であった身分証明書として利用する機会はなくなっていた。
 運転をはじめたころ、これも何度も書いているが、父の事務所兼都内の宿泊用にしていたアパートを引き払い、事務員兼留守番として、そこに住んでいた僕は国立の変奇館に戻ってきたのだ。したがって古本を売るにも、旧知の古書店主は僕に身分証明書を求めるようなこともなくなったのだった。
 五年ばかりを過ごしたJR田町駅近くのアパートの近所に行きつけの喫茶店があり、毎日のような通っていた。そこの常連客とはいまだにつきあいがある友人となっていた。
 驚くべきことに、僕は国立から田町まで、週に二度ほど、その喫茶店で友人たちと無駄な時間をつぶすため、運転して通うようになった。その喫茶店が、僕の転居から一年ほどで閉店することになったのは、良かったのかどうだか。

 「あの怖がりの瞳兄さんが、よく運動神経のない正ちゃんの運転する車に乗るわね」と瞳の下の妹、栄叔母さんに言われたことがある。
 そんなころ、その叔母を僕の運転する車に乗せる機会があった。
 「あら、瞳兄さんが正ちゃんの車に乗る訳が分かったわよ。すごい安全運転じゃない」
 父はレンジに火を着けることも出来ないほどの怖がりだ。爆発するのではないかという恐怖心が先に立つのだ。
 その怖がりが僕にも遺伝していて、人後に落ちない安全運転を守っている。
 今年書き換えとなる、その免許証も、これを最後に、次回は返納しようと考えている。