車庫の屋根(2)

 なんで最初に言ってくれなかったんですか。正介さんは運転しないと言っていたじゃないですか。
 と、変奇館を設計した建築家に言われてしまった。僕が都内の生活を切り上げて実家に戻ってきたときのことだ。それに伴い、僕の部屋と父の書斎、また六畳敷きの日本間を二つ増改築したことは何度か書いていると思う。
 そのときに北東の角地を駐車場にしてくれと建築家に頼んだのだった。それならば、そもそも最初に設計したときに駐車場も造ったのに、というのが建築家の主張だった。

 ご存じのように不器用で車の運転などは考えもつかないという父、瞳はもとより、母の治子も運転など、滅相もないことだった。
 そして、僕自身も生来の運動音痴でスポーツは全く駄目だった。
 そんな僕が一念発起して免許書を取得したのは二十代後半で、当時としては歳をとりすぎているといわれる年齢だった。
 教習場では、三十を超えると、年齢プラス、決められた最低限の授業時間を終了しなければ、卒業できませんよ、と言われた。つまり、二十歳前後に取りなさいよ、ということだった。

 自動車の運転免許を取得しようと思ったのには理由があった。
 或る日、はじめての古本屋で必要のなくなった書籍を売ろうとしたら、身分証明書を見せてくださいと言われた。自宅の近所の顔見知りで父も利用していた古書店では、そんなことを言われたことがなかった。店主とは、僕が子供の頃からの顔なじみだったからだ。身分証明書とは会社の社員証か学生の在校証明書か自動車の免許書だという。
 もとより小さな劇団に所属していたものの、いまさら就職することも出来ず、どこかの大学に入るわけにもいかなかった。
 唯一、可能性のありそうなのが、運転免許書だった。
 僕も父に負けず劣らずの不器用さだ。ときとして凶器ともなる運転などしていいものだろうか、とも思ったが、無為徒食に近く、時間だけはたくさんあった。すでにマイカーを所持していた友人に、ちょっと教えてもらったところ、まあなんとかなりそうな予感はあった。ちょうど近くに都内有数の名門教習所があったので、恐る恐る、その門を叩いたのだった。